転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊州路の汽車電車

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 修学旅行シーズン到来。大分市内中学校の修学旅行は複数の学校ごとに分けて日程が組まれる。各グループの出発日は12系6連の臨時列車が仕立てられ、最寄りの駅へ回送される。この日の乗車駅は賀来と南大分で、各校連合の出発結団式が行われて生徒たちは希望の列車に乗り込む。 久大本線賀来~南大分 S61(1986)/5

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 DE101172〔大〕が牽く12系6連の修学旅行臨はいったん向之原で機回しを行い、反転して賀来、南大分で生徒を迎える。かつてはキハ58系で組まれた修学旅行臨はいつしか12系客車へと変わっていた。 久大本線向之原~賀来 S61(1986)/5

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 大分発鳥栖行628Dは7時59分小雨にけむる引治に着く。通勤通学時間帯とあってかなりの乗車客がある。キハ40+キハ58+キハ45の3連はこの先玖珠川を渡り、左から寄り添う宮原線と並んで恵良へ向かう。玖珠川は町田川と合流して西へ流れ、やがて三隈川、筑後川と名前を変えながら大河となる。 久大本線引治 S59(1984)/10/17

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 第4宗太郎トンネルを出て深い谷を縦断する位置に「宗太郎桟橋」が設置されている。谷を流れる鐙川を渡らずに、川岸の崖沿いに架けられているので「桟橋」と呼ばれている。別府発南延岡行はローカルに格下げされた475系3連で運用されていた。 日豊本線宗太郎~市棚 S61(1986)/10

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 ED7674〔大〕牽引のタンカー編成が大在2番線に進入する。日豊本線は石油・セメント・化成品等の雑多な形式のタンク車が行き交っていた。大在は2面3線の列車線と3線の留置線があり、大分運転所の客車・気動車疎開留置に使われていた。 日豊本線大在 S59(1984)/6/20

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 5番線(4番ホーム)停車中の電車から大分起点方構内を見る。421系が入線する4番線(3番ホーム)は一直線に延び、開業時の1番線であることがうかがえる。6番線から手前に延びる引込み線は交代機関車の機待線もしくは機関車の灰を回収するトラの置場と思われる。 大分 S52(1978)/8/6

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 線路沿いの道からちらりと見えた列車に反応してあわてて撮った寸景。遠目に映る車輛はキハ55、キハユニ26、キハ26400番台、キハ58のように見える。キハユニは1色塗りになってはいたが、まだまだ良き時代の鉄道情景であったと思う。 豊肥本線中判田~滝尾 S56(1981)/1

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 若葉萌えるのどかな野原をキハ52先頭の熊本行3輛編成が駆けぬける。この先に待ち構える22.5‰の上り勾配に備えたエンジン音は小鳥のさえずりをかき消して遠ざかる。 736D 豊肥本線三重町~菅尾 S61(1986)/5/7

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 別府発熊本行706D“火の山6号”は大野川に沿った線形を進む。急行“火の山”は長年キハ58+キロ28+キハ65+キハ58の4連であったが、昭和59年2月改正以降はキロが減車されてキハ65を挟む3連になった。 豊肥本線犬飼~竹中 S61(1986)/5/7

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 宝泉寺行キハ40単行が玖珠川橋梁を渡る。玖珠川国道387号をひとまたぎし築堤を進んで行くとやがて左から町田川が現れ、線路と寄り添いながら町田へと向かう。 229D 宮原線恵良~町田 S59(1984)/3