昭和44年は消えゆく蒸機ばかりに目が向き電機にカメラを向けることは稀であった。敦賀から6輛全機が大分に来て1年後の姿を捉えたカットは手ブレやピンボケの写真ばかりではあるが、自分としては貴重な記録となったので恥ずかしながらアルバムに貼ることとした。
ED74は昭和37年11月に落成、北陸本線田村~金沢間でED70、EF70とともに運用されていた。北陸本線の標準機はEF70となったことから、昭和43年10月敦賀第二機関区から6輛全機が大分運転所へ転属となり、日豊本線でブルートレイン“彗星”と貨物列車の運用に充てられた。九州では馴染みのない電気暖房表示灯がそのままついている。
大分運転所のC57は昭和42年の幸崎電化後も7輛(4・17・53・65・66・109・115)が残っていたが、ED74進出の余波でその数を減らし、17・53を残して5輛が宮崎へスライド移動となった。
ED741〔大〕 大分運転所 S44(1969)/10/4
ED742〔大〕 大分運転所 S44(1969)/10/4
ED743〔大〕の牽く23レ“彗星” 大分 S44(1969)/9
ED744〔大〕+ED76重連のフレートライナー 日豊本線西大分~大分 S44(1969)/6
ED745〔大〕 大分運転所 S44(1969)/9
ED746〔大〕牽引の回送列車 豊肥本線下郡(信)~大分 S44(1969)/5
下郡信号場往復の回送列車の牽引機は実見したもので大分区はC58・8620・DE10・ED76・ED74、南延岡区のD51が使われていた。ED74の客車牽引の記録はこれが唯一でピントが合っていないのが惜しまれる。
ED74は大分運転所にあって日豊本線門司~大分間で活躍するも、列車削減と牽引機統一の煽りを受けて昭和53年10月には休車となり、日豊本線では10年の足跡を残したことになる。