58652〔大〕は昭和45年1月に廃車されているので稼働中の写真は昭和44年に撮ったわずかばかりである。まともな写真が撮れないまま廃車となり残念であった。大分運転所側から牽き出してきた車輛は冷蔵車と客車が連結されて、前記事記載の入換区分「中入換」で、客車貨車仕業検査入換かもしれない。画面右側は当時まだ健在だった専売公社への引込線が見える。左側は石炭満載のセラとそれより背が低いセム6000が止まっている。 大分 S44(1969)/5
58652〔大〕が引上線で待機する横を博多行1502M“ゆのか2号”が駆けていく。残念なことにこのカットを撮って立ち去っている。通路が開くのを待っていた58652〔大〕はこの後、ブルートレイン20系“彗星”の大分落し付属編成を迎えに行き、引上げて客車洗浄線へ押込む一連の作業があったはずで、何故待てなかったのか悔やまれる。 大分 S44(1969)/9
かつては日豊・豊肥・久大の各本線を疾走したであろうハチロクはこの時3輛が残り、入換と小運転に使われていた。 大分 S44(1969)/4
大分駅を渡る東西の踏切はいつも「開かずの踏切」でとても楽しい場所であった。駅西部の田室踏切は本線の通過列車と運転所へ入出区する機関車や引上げ列車で、また東部の金池踏切は日豊・豊肥・久大の列車と貨車入換で遮断機はいつも下りていた。貨車を従えたハチロクが踏切上でしばらく動かない事も多く、そんな時は貨車の連結器を切って隙間を作り、人と車を通す光景も見られた。別府方向へ頭を向けた右運転台の78684に対して58652は頭を鶴崎方向へ向けて入換仕業に励んでいた。 大分 S44(1969)/6
ヨンヨントオ改正では大分運転所のC57・C58・8620に変化はなかったが、D60が2輛(69・71)直方へ転属となった。58652はこの時稼働していたかどうかはわからない。テンダを背に扇形庫で見たのが最後となった。 大分運転所 S44(1969)/10/4