転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大嶺支線のD518

f:id:c57115:20211222143147j:plain

 日本最大のカルスト台地といわれる秋吉台へ行く道中で、C58の牽く貨車1輛客車1輛の混合列車を目撃し、強烈な印象が残っていた。それは昭和41年頃の私はまだ小学生の時であった。当時の感覚は客車列車は少なくとも4輛はつないでいたし、ましてや客車と貨車をごっちゃにつなぐなどありえなかった。それでその混合列車のことは後々まで不思議な編成として刻まれていた。後年、その列車が走る線は南大嶺から大嶺までひと駅間だけの路線ということがわかった。
 訪れた昭和47年夏、大嶺支線は2.8㎞の盲腸線で1日8往復の混合列車が健在であった。その日は貨車の連結がなく残念であったがC58から変わったD51が客車1輛を従えたれっきとした営業列車として運転されていた。 D518〔厚〕+オハフ33〔広アサ〕 630レ 美祢線大嶺支線南大嶺~大嶺 S47(1972)/8/11

f:id:c57115:20211222143238j:plain

 南大嶺では客車を放して転線、さっそく入換にとりかかる。島式ホームの上屋に掛けられた案内表示は2番線長門市方面、3番線厚狭方面と読める。 美祢線南大嶺 S47(1972)/8/11

f:id:c57115:20211222143310j:plain

 D518〔厚〕は門司のD51のようにタブレットキャッチャーが付いていたのかナンバープレートがキャブからはみ出している。熊本、鳥栖、吉松と九州線で活躍の後厚狭に転属している。 美祢線南大嶺 S47(1972)/8/11

f:id:c57115:20211222143342j:plain

 入換開始。手前の有蓋車は筋交い補強のアングルが独特の木製のワム50000形式だった。 ワム52719 美祢線南大嶺 S47(1972)/8/11

f:id:c57115:20211222143415j:plain

 美祢線の枝線となった大嶺支線は、開業時は大嶺炭田の石炭を運ぶため山陽鉄道が厚狭~大嶺間を開通させ、こちらが当初の本線であった。南大嶺から美祢・重安方は国有化の後に開業している。大嶺炭田は良質な無煙炭が産出され、蒸気機関車の石炭の質は(1)大嶺(2)伊田(3)宝珠山の順に優れていると聞いたことがある。 南大嶺 S47(1972)/8/11