転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南延岡のキハ

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 訪問時、南延岡機関区の気動車は高千穂線用にキハ20が7輛、キハ11が4輛配置されていた。昭和44年の配置表ではキハ20ー6・キハ10ー3とあり、キハ20は1輛増でナンバーは変わっていない。キハ10はその後キハ11と交代していた。扇形庫1番から3番線に仲良く並ぶキハ20群は左から433・70・50で433以外はオリジナルのきれいな顔を保っていた。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 キハ20系0番台は手前のキハ11と同様のバス窓とDT19台車を履いていた。キハ2070は71と共に昭和33年3月厚狭から転じている。南延岡機関区訪問時は車輛ばかりに目をむけて施設全体を見渡す写真は皆無であった。かろうじて扇形庫1番から3番線の上に「南延岡機関区 運転無事故」の看板が取り付けられているのがわかった。 キハ2070〔分ノカ〕 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 キハ17の両運転台付がキハ10・キハ11で、便所無しがキハ10、便所付がキハ11と形式が区分されている。南延岡機関区はキハ10からキハ11への形式変更は便所付車の関係ではないかと思われる。キハ1129〔分ノカ〕は端正な顔と狭幅の車体にウインドシル上のバス窓、DT19台車が自慢であった。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 キハ10が走る日之影線は、この時の訪問時は高千穂まではまだ未開通で、線名はまだ日之影線であった。キハ1067〔分ノカ〕はこの後直方気動車区へ転属しているので、南延岡のキハ10を捉えた貴重なワンカットとなった。 南延岡機関区 S47(1972)/1/5

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 7輛のキハ20の内、0番台の27・41・50・70・71の5輛は昭和33年から34年にかけて南延岡に配置され、これは当時のキハ07の置換えと思われる。その後の増備はいずれも長崎からの転属で、433が昭和37年1月、434が42年3月に南延岡入りしている。キハ20系はそれまでの10系から車体の大形化、客室設備の改善が図られている。キハ20434〔分ノカ〕の顔は「架線注意」標識、両窓下の通風蓋、テールライト上のステップ、検査標記に銘板等とても賑やかに見える。 南延岡機関区 S47(1972)/1/5