転轍器

古き良き時代の鉄道情景

ED74運用離脱後の姿

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 ある日高城駅へ立ち寄ってみた。改札口から構内をのぞくと、別府発西鹿児島行“日南5号”6輛編成が交換待ちで運転停車し、向かいの側線には使命を終えたED74-6輛全機が留め置かれていた。悲しくなるような光景を目の当たりにし構内反対側へ回ってみる。 日豊本線高城 S54(1979)/1

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 6輛だけの少数派ED74は、昭和53年10月改正の列車削減と機関車形式ED76への統一政策によって日豊本線での働き場を失ってしまった。高城の側線に集められた全機6輛の姿はとても残念で見るに耐えなかった。 日豊本線高城 S54(1979)/1

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 ED744の区名札は「敦」から「大」に変わって10年間輝いていたが、今、札差しは「大」と「一休車」が入れられていた。連結間から「たかじょう」の青色をした琺瑯看板が見える。 日豊本線高城 S54(1979)/1

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 年明けに初めて確認してから半年経過、留置はそのまま動きはない。ED743とED745の第2エンドの札差し「一休車」は白地タイプが入れられている。上の写真1エンド側は黒地の白抜き文字であった。 日豊本線高城 S54(1979)/7

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 ED744に掛けられたロープに「立入禁止」標記が取り付けられている。ホーム上の照明と駅名が付けられた電柱は忘れ去られた光景と言える。 日豊本線高城 S54(1979)/7 

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 あれから1年後、ED746の前に同じ小倉工場行の運命であろうオヤ3352がつながれていた。 日豊本線高城 S55(1980)/7 

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 ED74は大分寄りからED746+ED742+ED745+ED743+ED741+ED744の順に並び、その前にオヤ3352が連結されている。 日豊本線高城 S55(1980)/7

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 昭和38年4月、北陸本線福井~金沢間の電化開業用としてED74は製作された。 ED741 日豊本線高城 S55(1980)/7

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 ED74落成後は敦賀第二機関区に配置されED70、EF70と共に北陸本線で使われた。 ED743 日豊本線高城 S55(1980)/7

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 北陸本線の標準機がEF70になったことからED74は昭和43年10月、大分へ転属し日豊本線で使われることとなった。 ED744 日豊本線高城 S55(1980)/7

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 日豊本線では大分以北の貨物列車と昭和43年10月に登場した特急“彗星”に運用された。 ED745 日豊本線高城 S55(1980)/7

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 さらに半年経過。動きはない。初めて確認した昭和54年1月からは2年が経っている。 日豊本線高城 S56(1981)/2

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 ED74のヘッドライトはED76とは対照的におでこに凹んで付けられている。 ED742とED745 日豊本線高城 S56(1981)/2/15

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 ED744のステンレス帯とヘッドマーク掛け  日豊本線高城 S56(1981)/2/15

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 ED744のDT129台車 日豊本線高城 S56(1981)/2/15

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 動きがあった。オヤ33が居なくなっていた。ED74より先に旅立った模様。構内は保線関連の車庫が建てられていた。 日豊本線高城 S56(1981)/4

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 再び動きあり。ED743が先頭になっている。前寄りED746+ED742+ED745がひと足先に小倉工場へ旅立ったようだ。札差しは「大」と「一休車」は無くなって、具体的な移動の詳細が示されていたのかもしれない。ED74留置を捉えたネガを追跡したが、これが最後のコマとなった。昭和54年1月確認以来2年4箇月が経過していた。この後ED743+ED741+ED744が高城を後にしたものと思われる。ED74、日豊本線稼働10年、運用離脱後留置2年半の足跡であった。 日豊本線高城 S56(1981)/5

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