転轍器

古き良き時代の鉄道情景

幸崎 その後

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 民営化後も何度か幸崎を訪れていた。国鉄時代と変わらないタンク車の貨物列車、濃硫酸のタンク車ヤード等かつてと変わりない光景に安堵する。カラーネガはカビがはり付いて完全な除去は不可能のようで、ここまで復活するのに苦労した。 日豊本線幸崎 S62(1987)/6

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 何を撮りたかったのかわからないこの画は、貨物ホームは駐車場と化して「国鉄バス佐賀関線」を彷彿させる折返し間合いのバスが写っていた。この時代の車のデザインがよくわかる。 日豊本線幸崎 H1(1989)/2

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 ホーム側から見た駅舎の様子は国鉄時代と何も変わっていない。差掛け屋根の行燈式駅名看板、改札入口の青板の駅名標を始めとして、信号梃子扱所の後のような屋根、用品庫のような建物はあの時代の空気が漂っている。パイプの柵が木製であったらなおさらだ。 日豊本線幸崎 H1(1989)/2

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 タキ300コタキ4494の車票を見る。発駅は八代、着駅は幸崎で空車返送のようである。4桁数字4490と9530は何れかが列車番号であろうか。右の票差しは青地白ぬき文字の「地域間急行」の札が入っている。昭和が終わることを想定していない検査標記は当然であるが、松任工場/62-1/66-1とある。ある意味貴重な記録かもしれない。台枠の日本国有鉄道の銘板が重々しく映る。 日豊本線幸崎 H1(1989)/2

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 幸崎の側線は以前と変わらず日本鉱業を始めとした幸崎駅常備の私有貨車タキ300やタキ4000が並んでいた。後方にかつては気づかなかった農協の農業倉庫が写っていた。当然ながら貨物輸送全盛期はこの駅も米俵や農産物の出荷が行われていたであろう。 日豊本線幸崎 H1(1989)/2

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