転轍器

古き良き時代の鉄道情景

下関 昭和54年2月

 門司(操)からの貨物列車が幡生(操)へと下関構内を通過する。関門専用の機関車はEF302〔門〕+EF3015〔門〕の重連であった。下関は3面6線のホームで番線表示は3番から9番まで振られ、旅客線外側に下り貨物線1番線、上り貨物線10番線が通っていた。一番右は下関運転所から高架線につながる通路で上り小運転線という11番線である。 下関 S54(1979)/2/7

 下関は高架の駅でその西側の地平は下関運転所と貨物ヤードが広がっていた。関門トンネルへ向かう山陽本線は高架のまま運河のような海峡を越えて彦島に渡る。山陽本線の真下には直角に交差する線路が敷かれてどこからどのようにつながっているのか不思議でならなかった。その光景を写真に収めておけばよかったが今となっては後の祭りで、埠頭や漁港に臨港貨物線が敷き詰められていたことを知る。 下関 S54(1979)/2/7

 80系が頑張っていた山陽本線は昭和53年10月に新性能化が成って姿を消していた。岡山と広島に115系が投入され、広島の111系は下関に転出していた。山陽路では80系しか見ていなかったので新しい顔とはこの時が初めての出会いであった。 下関 S54(1979)/2/7

 山陽本線には関門トンネルを潜って九州の交直両用電車が顔を出す。この当時の時刻表から423系・415系は徳山・厚東・小郡、また宇部線回りで小郡まで足を延ばしていた。距離の長いものでは熊本発小郡行などがあった。また写真の下関行の九州側の始発駅を見ると鹿児島本線系では熊本・荒尾・久留米・南福岡・博多・小倉・門司、長崎本線系では佐賀、日豊本線系では幸崎・柳ヶ浦・中津と多彩であった。 下関 S54(1979)/2/7