転轍器

古き良き時代の鉄道情景

高千穂51号と高千穂52号

 昭和47年夏期の本州対宮崎方面の臨時列車は以下の3往復が運転されていた。
(1)単独列車/名古屋~都城間/下り“高千穂51号”上り“高千穂52号”
(2)併結列車/名古屋~八代・宮崎間/下り“くまもと・高千穂52号”上り“くまもと・高千穂51号”
(3)併結列車/新大阪・岡山~西鹿児島・宮崎/下り“屋久島51号・日南51号”上り“屋久島54号・日南51号”
下り・上りで列車名と運転区間が異なりまことにややこしく映る。
 宮崎へC57やC61を撮りに行った際、この列車番号8000・9000番台の臨時列車の時刻を頭に入れておけば蒸機牽引急行を撮れていたかもしれないが、全く無頓着であった。日豊本線優等列車はDF50のフル稼働で、期間限定のスジが引かれれば宮崎・南延岡のC57やD51が応援に入らなければ機関車のやり繰りはつかなかった、という事を後になって理解した。

 どしゃ降りの宮崎1番ホームにC57117〔宮〕の牽く6輛編成が入って来た。普通列車と思って気にもとめていなかったが、グリーン車がつながっているのでこの列車は都城発名古屋行“高千穂51号”ということに後で気づく。C57117〔宮〕は解放されて機関区へ戻って行き、次の牽引機は何なのかは残念ながらが見ていない。 8518レ 宮崎 S47(1972)/8/10

 C57117〔宮〕が編成から離れて行く。本屋寄り貨物ホームの様子がよくわかる。このまま転線して宮崎機関区へと帰って行った。

 DF50533〔大〕が出区する光景は、ネガの順番からC57117〔宮〕が牽く“高千穂51号”の到着前であったので、たぶんこのDFが臨時急行の牽引機ではないかと思われる。

 雨があがり再び宮崎駅ホームへと出てみる。C59のようなテンダを持ったC57192〔宮〕が後退していた。

 副本線5番線に置かれた客車編成に連結されようとしている。

 6輛編成の前から2輛めはグリーン車が付いている。これは急行編成だ。この後この編成を従えてホームへ入ることもなく、まるで貨物列車の如く、この5番線から発車してしまった。ただ呆気にとられて見送っただけ、この編成のことが不思議でならなかった。

 その答えは高千穂51号と52号の複雑な運用にあった。下り高千穂51号、その返しの上り高千穂52号はモノクラス編成。下り高千穂52号(色付)宮崎行と、上り都城発高千穂51号(色付)はグリーン車の付いた編成であった。しかも下り宮崎止り、上りは都城発なので、宮崎から都城までは編成の送り込みが必要で、たまたまその現場に居合わせたということであった。また運転期間は都城発が7/26から、名古屋発が7/27からと記載されていることから、この列車の受持ちは都城グリーン車は鹿ヤコのオロ11が使われたものと思われる。

 かくして、C57192〔宮〕は到着した8517レ“高千穂52号”の編成を、翌日の8518レ“高千穂51号”にするため都城まで送り込み回送として出発する。 宮崎 S47(1972)/8/10