転轍器

古き良き時代の鉄道情景

D6058 磐越東線時代

 D6058〔郡〕の磐越東線時代の情景を小川秀三さんにお願いした。大分で相まみえた姿とは全く別機の様相で驚きであった。D50を9600やC58の輸送改善を目的に丙線用に軸重軽減の改造を施されたD60は、根室本線・横黒線・磐越東線紀勢本線山陰本線山口線筑豊本線久大本線に投入された。磐越東線久大本線と同時期の昭和30年から31年にかけて郡山にD60が投入されている。58号機はセメント輸送増強の際に紀伊田辺から郡山へ移ったようだ。
 D6058〔郡〕がタキ1900の列を従えてセメント工場のある大越へ向かう。 774レ 磐越東線船引~要田 S43(1968)/6/2 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 火の粉止めが付いて印象が全くちがうD6058〔郡〕。一時大分にいたD6022もこのような火の粉止めを付けて久大本線を走っていた光景を「九州を走った汽車・電車」(奈良崎博保著/JTBパブリッシング/平成21年11月刊)で確認している。このスタイルの火の粉止めは全国に普及していたのだろうか。
 D6058〔郡〕の牽く郡山行普通貨物列車はサミットの文珠隧道を抜けて来た。 761レ 磐越東線船引~要田 S43(1968)/6/2 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 煙突に被り物のないD6058は大分で見た時と同じ表情であるが、テンダに巨大な重油タンクが搭載されていたことは想像だにしなかったことで驚きであった。重装備を解かれて大分に来た、ということを改めて認識した。小川さん曰く、「重油併燃装置は東北地区で働くD51を中心に広く装備され、磐越東線と隣接する磐越西線で働く会津若松のD50・D51も機関助士の労力低減とボイラ出力増強目的で炭水車に1500~3000㍑の重油タンクが装備されていた」。52・58・71の九州転属の3機は撤去されて直方・大分入りしたのであろう。 774レ 磐越東線船引~要田 S43(1968)/6/9 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 DD51803〔郡〕+D6058〔郡〕+貨車+逆D6078〔郡〕+逆D6012〔郡〕というものすごい編成に圧倒される。 774レ 磐越東線船引~要田  S43(1968)/6/9 撮影:神奈川県 小川秀三さん

 磐越東線は大越と小川郷にセメント工場があって、その原料・製品輸送を始めとした多数の貨物列車が設定されていた。旺盛な貨物輸送需要に加えて阿武隈山地の急勾配区間を越える為の重連・補機付列車が、また転車台がなかったことから逆行運転も多く多彩な運転形態が魅力であった。
 磐越東線が格好の働き場であった二軸従台車のD6058はDD51の投入で大分へ移動する。久大本線磐越東線のような貨物輸送はなく穏やかな仕業で過ごしたのは束の間、今度はDE10に追われて直方へ渡る。筑豊本線上山田線は貨物優位、逆行運転多数で再び磐越東線のような忙しさを味わったのかもしれない。
 私が惚れたD6058の久大本線時代、磐越東線時代の貴重な「記録」に感激、感動している。快く画像を提供いただいた小川秀三さんに感謝申しあげます。