転轍器

古き良き時代の鉄道情景

鹿児島本線貨物線

 鹿児島本線貨物線を行くD511150〔若〕は後藤寺行の一般貨物の先頭に立っている。後藤寺までの経路は門司(操)から鹿児島本線貨物線─黒崎から筑豊本線─直方から伊田線─金田から糸田線と複雑で、牽引機は直方から9600に代わる。たまたま出会った若松のD511150はかつては長崎本線をならした機関車であった。 小倉 S48(1973)/3/30

 DD5149〔門〕牽引の日田彦山線石原町からの石灰石列車は両端セフに高さ不揃いのホキとセキをはさんだとても長い編成であった。石原町から黒崎へ行く石灰石列車は、日豊本線を北上し小倉の先の複雑巧妙な線路配線で鹿児島本線貨物線と合流し、東小倉を経て門司操車場に入る。ここで反対方向に機関車が付き、スイッチバックの形で鹿児島本線貨物線を下って黒崎をめざす。 小倉 S48(1973)/3/30

 独特な唸りをあげてやって来たのはED7210〔門〕で、ホキとセキのジョイント音が規則正しいリズムとなって新幹線高架橋にはねかえっていた。編成は黒崎発石原町行と思われるが電気機関車もその運用に就くのかと驚きであった。またED72の貨物牽引は初めてで興味あるひとコマとなった。 小倉 S48(1973)/3/30

 山陽新幹線の高架橋は小倉駅北側に着々と建設が進んでいた。

 ED73の牽くク5000の自動車輸送編成を見る。志免の自動車基地に向かう自動車輸送列車は、香椎(操)から香椎線に入り、酒殿からの短絡線で勝田線志免への経路をとる。自動車輸送は昭和42年頃から始められ、新鶴見(操)・北野桝塚・笠寺間で設定されていた。 小倉 S48(1973)/3/30

 雨の中、DD51が牽く上りの長い貨物列車がやって来た。電気機関車ではないので筑豊本線からの乗入れとも思ったが、編成中ほどはボギーのワキ5000が続いていたので鹿児島本線鳥栖からか、香椎からか、どこから来たのか謎の列車であった。 小倉 S51(1976)/9/19

 石炭車に分厚い蓋をしたような特異な形の貨車は生石灰を運ぶホラ100で、鹿児島本線貨物線を行く編成は牽引機も編成もバラエティに富んでいた。乗換え間合いのわずかな時間の偶然の出会いなので腰を据えて観察すればもっと珍しい車輛が撮れていたにちがいない。 小倉 S51(1976)/9/19