転轍器

古き良き時代の鉄道情景

光岡の交換

 神奈川県の小川秀三さんから見せられた光岡駅の写真は昭和45年8月の撮影で、下り線に日田彦山線からのC11が牽く貨物列車が写っていて驚嘆した。日田彦山線の貨物列車、しかも久大本線で見るのは初めてであったからだ。小川さんからこの列車のダイヤを教えていただき、こちらもまた驚きの事実を知る。それは門司からの列車は香春から添田までは添田線を経由していたことだ。行路は門司8:53発ー東小倉ー香春ー大任ー添田宝珠山ー光岡16:24発ー日田16:39着であった。何と1日かけて日田彦山線を縦断していた。テンダのリベットが美しいD60牽引の大分発鳥栖行638レは光岡16:28発で日田行貨物が先に発車するようだ。画面左側は貨物側線があって木材製品や農産物が発送されたものと想像する。 久大本線光岡 S45(1970)/8/1

 638レは大分から豊後森までD60の前にDE10が付いていたとのこと、豊後森で解放されるDE101018〔大〕を撮っておられた。この時期は私もD60を待っていたがことごとくDE10が付いて裏切られていた。訓練運転のDE10は私の体験では上りは640レ、下りは1635レで大分~豊後森間を往復していた。638レにもDE10が付いていたことを今になって知る。 久大本線豊後森 S45(1970)/8/1 写真提供 小川秀三さん

 当然D60が来ると思っていたらDEのホイッスルが聞こえて落胆して撮った残念写真…。 640レ 久大本線庄内~天神山 S45(1970)/5

 D60旅客とC11貨物が交換した昭和45年から6年後の光岡の様子。私が乗車した門司港発日田行729Dが光岡に停車。交換列車があると聞いてホームに降り立つ。何が来るのか全くわからないなか、3輛編成の急行らしき編成が姿を現す。乗務員は運転席から身を乗り出してタブレットを渡そうとしている。この列車は天ヶ瀬発日田彦山線美祢線経由浜田行402D“あきよし”であった。光岡はホームから見ると分岐器までの有効長はとても長いと思う。 久大本線光岡 S51(1976)/9/20

 現在の光岡駅。古き良き時代の面影はない。かろうじて画面左側にかつての貨物側線の跡地がそのまま残っているのが垣間見える。

 下り線側から。駅本屋へ続く道は昭和45年撮影時と同じようだ。構内を隔てる枕木柵はフェンスに変わっている。密集した建物はなくなって寂しさを覚える。

 踏切から振り返って日田寄りを見る。上下線の分岐器の位置も同じようで有効長は当時と変わっていないようだ。

 駅前の道路から奥まった駅のロータリーを見る。「すこやか光岡」の看板を掲げた地域コミュニティの施設が駅舎のかわりのようだ。通学の時間帯は賑わっているように感じた。

 日田駅日田彦山線筑前岩屋駅を結ぶ列車代行バス西鉄バスによって運行されていた。乗客の姿は見えない。まさか日田彦山線添田~夜明間の線路が無くなるなど思いもしなかった。古き良き時代を懐かしむ者として、今の自動車交通の時代を思うと当然の帰結とはいえ、あの頃の鉄道模様を顧みらずにはいられない。 JR光岡 R4(2022)/9/4