転轍器

古き良き時代の鉄道情景

下郡回送列車

 DF50牽引の長駆宮崎からの編成は大分到着後すぐさま後部にC58277〔大〕が連結されて今来た道のとなりの豊肥本線に入って下郡信号場へ向かう。日豊・豊肥・久大の各本線で運用される客車列車は、大分運転所では収容しきれず大分電車区の留置線で昼間留置が行われていた。 回536レ 下郡(信) S46(1971)/9/15

 大分川の土手から下郡信号場を発車する回送列車を撮る。ゆっくりと豊肥本線へと歩を進める。 回547レ 下郡(信) S46(1971)/9/19

 C58277〔大〕は逆向きでゆっくりと大分川橋梁を渡る。この4輛編成は大分到着の後DF50が付いて大分発都城行547レとなる。この時大分川には日豊本線大分川橋梁の架け替えで新旧3列のピーアが並んでいた。 豊肥本線下郡(信)~大分 S46(1971)/9/19

 夕刻はハチロクも加勢にやって来る。58689〔大〕は片道たった5分の道のりではあるが往年の本線仕業を思わせる迫力あるシーンを見せてくれた。 回748レ 下郡(信) S46(1971)/9/29

 この列車は大分発豊後竹田行748レとなる。58689〔大〕はドラフト高々に6輛の客車を牽き出す。後年わかったことであるが、昭和30年代の豊肥本線は大分と豊後森の8620が豊後竹田と豊後荻までの運用を受持っていたことを知る。 下郡(信) S46(1971)/9/29

 豊肥本線ひと区間、下郡(信)~大分間は電化区間で、大分電車区へ入出区する回送電車や昼間留置の客車列車の回送が数多く設定されて列車密度の高い区間でもあった。客車編成の牽引機は電機・ディーゼル・蒸機と多彩であった。ED7619〔大〕が6輛編成を従えて3列の橋脚が並ぶ大分川を渡る。 豊肥本線下郡(信)~大分 S46(1971)/9/15

 日豊本線貨物仕業の間合いに南延岡のD51も下郡回送運用の助っ人に来ていた。お盆の対関西臨時列車が設定されている時でC58と8620では手が足りなくなったものと思われる。 下郡(信) S44(1969)/8/11

 汽笛一声、下郡信号場を発車したC58277〔大〕の牽く回送列車が大分川を渡る。 豊肥本線下郡(信)~大分 S47(1972)/5/3

 大分川右岸から2本の鉄橋を見る。DE10投入による大分地区無煙化は目の前に迫っていたこの時期、西日を浴びた煙の流れは蒸機終焉間近を思わせる哀愁の構図となった。この時2本の鉄橋間にあった旧橋梁跡の煉瓦のピーアは撤去されて、以前ここに鉄橋が架かっていた面影はなくなってしまっていた。 豊肥本線下郡(信)~大分 S47(1972)/5/3