転轍器

古き良き時代の鉄道情景

101系・103系 非冷房の頃

 目黒付近の地形は都会とは思えない深い谷があった。わざわざ山手線の103系を撮りに来たのではなく、掘割のような低い位置を通る貨物列車が目当てであったが、うぐいす色の電車しかやって来なかった。目黒を出て恵比寿へ向かう編成は貨物線をオーバークロスする。前方にエビスビールの工場と煙突が見える。パンタグラフのあるモハ103のナンバーはモハ103-914と読める。 山手線目黒~恵比寿 S49(1974)/7

 冷房と非冷房編成がすれちがう。手前は先頭がATC準備の高運転台で側面端部に行先表示幕が備えられている。モハ103のナンバーはモハ103-357で、新製時からの冷房装置取付車とのこと。 山手線目黒~恵比寿 S49(1974)/7

 振り返るとこの構図。内回りの電車は近代的な顔に見える高運転台のクハ103だ。当時、同一編成で前後数輛が冷房車、中間は非冷房車で組まれている場合があった。山手貨物線は旧形電機の牽く貨物列車の他にクモニ13の荷電、荷台に車軸を積んだクモル・クルのコンビの配給電車も見たことがある。画面右側奥からは目蒲線の複線が崖を伝うように敷かれていたのが印象的風景として記憶に残る。 山手線目黒~恵比寿 S49(1974)/7

 EF10とEF12の牽く貨物列車の向こうはグローブ形ベンチレーターが並ぶ非冷房の103系が通る。武蔵野線根岸線が開業した昭和48年頃から山手線に新形冷房車が投入され、冷房化率は少しずつ上がっていった模様。 山手線大塚~巣鴨 S49(1974)/7/21

 手前の柱で台無しの写真だが、先頭車にパンタグラフが付いていたので自分としては貴重な記録ではないかと掲載した。「桜木町」を出したスカイブルーのクモハ103京浜東北線用7+3の編成を組むのに誕生したらしい。2基の出発信号機は京浜東北線、山手線それぞれの線からこの先田町まで双方の線に入れる標記がなされている。 田端 S49(1974)/7/21

 駒込と田端の間は台地に上がって山越えの様相を呈する。旅客線は切通しを抜けて、貨物線はトンネルで崖の東側へ出る。東側は低地となり京浜東北線、田端操車場へと合流する。非冷房の内回りと外回り電車、東北本線側からの貨物列車が同時に画面に納まった。 山手線駒込~田端 S49(1974)/7/21

 根岸線が全通して間もない頃の本郷駅から大船行を撮る。編成は103系8輛編成のように見える。 根岸線本郷台 S49(1974)/8

 この頃の南武線は旧形から新性能電車へ移行する最中であったと思われる。カナリアイエローの101系とぶどう色の73形が並んでいる。 中原電車区 S49(1974)/4

 まるで地方都市の駅の雰囲気が漂う総武本線西千葉駅。古い跨線橋や木製架線柱、枕木柵等のストラクチャーと101系電車との対比がアンバランスに映る。 西千葉 S51(1976)/2/25

 多摩川を渡る103系スカイブルーの4輛編成。風前の灯となった旧形国電を撮りに来た時に103系にもカメラを向けていた。 五日市線熊川~東秋留 S52(1977)/12/2

 五日市線は当初京浜東北線で捻出されたスカイブルーの103系で運転され、その後オレンジに塗り替えられていったようだ。 五日市線熊川~東秋留 S52(1977)/12/2

 当時、新性能通勤電車に惹かれることはなかったが、今振り返るとあの時代の当たり前な景色を切りとっておいて良かったと痛感している。何の意識もなくスナップした構図は不思議なくらい冷房装置が屋根に載せられる前の編成ばかりであった。オレンジバーミリオンの快速電車が高架のホームに入って来たある朝の日常を捉えていた。 中央本線高円寺 S53(1973)/2