転轍器

古き良き時代の鉄道情景

門司の印象

 汽車旅は車窓に広がる景色や列車、ヤードの車輛が見えるのが楽しいものだ。東行夜行列車に乗っていると、小倉を出た辺りから車窓右側が気になり始める。小倉から門司にかけて輻湊する線路が不思議に絡み合う“配線の妙”に魅かれるからだ。通るたびに迷路の謎解きをしようとするも、気がついた時には東小倉のヤードで鹿児島・日豊本線の貨物線は上り旅客線の内側に揃い、私の乗った列車はいつの間にかヤードの一番外側を走行しているのがわかる。車窓を塞いでいた荷物車・郵便車の列が途切れると、操車場のセメント・石灰石列車やコンテナ編成で視界が遮られ、その隙間から門司機関区電留線のステンレスや赤い交流電機群を垣間見るうちにいつの間にか門司駅上りホームに入っていた―というのが門司の印象であった。

 5番ホームからEF302〔門〕先頭の下り貨物列車を見る。モーター音を響かせてゆっくりと貨物本線を行く。4番と5番ホームの間は3線が敷かれ、EF30重連が行くのが下り貨物線、そのとなりが上り貨物線、もう1線は機回し線である。下り貨物線の交直デッドセクションはこの先、ヤードを潜るトンネルの入口にある。 S52(1977)/8/6

 6番ホームはオレンジ色の切抜きナンバーが目立つED731008〔門〕が博多発東京行“あさかぜ2号”を牽いて入って来た。 10レ S52(1977)/8/6

 ED73からEF30に機関車付け換え作業が終わり発車ベルが鳴りやむと、20系ブルートレイン“あさかぜ2号”は静かに動き出す。カニ21のテールサインとテールランプが遠くなり青い車体が見えなくなるまで追い続ける。ホームではひと時の忙しさを終えた安堵感と列車視認の緊張感が交錯し、旅情漂う光景を満喫した。

 4番ホームでアイドリングするきれいなキハ20系気動車は、山陰本線九州乗入れの滝部発小倉行の865Dで、厚狭機関区所属の気動車で組まれていた。 キハ20219〔広アサ〕 キハ25249〔広アサ〕他 S52(1977)/8/8

 前日に降った雪が残る構内を広島発日豊本線経由西鹿児島行急行“青島”が4番ホームを出て行く。私は“青島”は大分以南でしか実見したことはなく、ヘッドマークは上り方だけで下り方には付いていないことが気になっていた。撮影した線路端さんに門司での様子を聞いてみた。 S50(1975)/2/23 写真:線路端さん

 関門トンネルを出て門司4番ホームに入る403D急行“青島”8輛編成。広島からは下り方にヘッドマークが付いていた。線路端さんの写真から門司港編成が下り方に連結される為、ヘッドマークが隠れてしまうことがわかった。青島編成は1~4号車/門司港西鹿児島、5~9号車/広島~西鹿児島、10~12号車/広島~別府間で運転されていた。広島発車時は9号車にもヘッドマークが用意されていたものと思われる。
 線路端さんの記録から昭和50(1975)年2月21日夜から22日にかけて関東地方から西日本にかけて大雪が降り、撮影日前日はダイヤが大幅に乱れていたとのことであった。 S50(1975)/2/23 写真:線路端さん

 1番ホームからは門司港筑豊本線乗入れ原田行2747レが発車する。DD51623〔鳥〕はエンジン音高らかに紫煙を残して出て行った。 S52(1977)/8/8

 初めてステンレスのEF81300番台を見た。この時4輛が揃っていた。 EF81304〔門〕 S52(1977)/8/8

 古い「鉄道ファン」に『関門の4重連』のレポートが載ったのを記憶している。8挺パンタを林立させてそれに続く長大な貨物列車を従える光景は目を見張るものがあった。何度か立寄っているがその光景と出くわすことは叶わなかった。
 4番ホームから下り貨物線を行くEF3012〔門〕の回送重連を見送る。 S52(1977)/8/8

 急行“青島”の写真をお借りした線路端さんは回送4重連を収めていた。先頭のEF3019〔門〕は私が撮ったEF30とは連結器の表情が異なることに気づいた。私と会ったEF30の連結器は両側にネジ様のパイプが突き出ている。EF3019はそれが無く連結器回りがすっきりしている。EF3018・19は昭和40(1965)年製、連結器の左右復心ばねはスカートの内側に収容したこと、重連総括制御のジャンパ連結器の数が変更になったこと等改良が加えられているとのことであった。 S50(1975)/2/23 写真:線路端さん

 上記の視点からEF3010〔門〕を見ると、重連総括制御のジャンパ連結器は両サイドに2個ずつ付いているようだ。4番ホームから見た上り貨物列車は門司機関区を潜るトンネルを出て上り勾配を登ってきたところ。 S52(1977)/8/8

 2番ホームにED7622〔大〕牽引の門司港発大分行525レが入って来た。小雪のちらつくこの日はとても寒く客車床下からスチームが勢いよく噴き出していた。 S54(1979)/2/7

 5番ホームは上り荷物列車を従えたEF3010〔門〕が待機している。EF30の運用区間は幡生(操)~門司(操)間であるが、荷物列車は東小倉まで足を延ばすようだ。 S54(1979)/2/7

 EF302〔門〕が5番線先端で出発待ち。単機で下関側に向かうものと思われる。EF302は昭和36(1961)年8月落成、他の21輛と共に活躍するも、昭和48(1973)年から50(1975)年にかけてEF81300番台、その後のEF81400番台の登場によって昭和60(1985)年に廃車されている。 S57(1982)/8/18

 6番ホームに夜行急行の新しい装いとなった西鹿児島門司港行“かいもん”が到着した。20系と12系の組合せがアンバランスに映る。ED7687〔鹿〕は昭和51(1976)年の長崎・佐世保線電化用に増備されたED7681~94のグループの1輛だ。 102レ S57(1982)/8/18

 ED76の向こうに出発信号機が見える。信号機位置図によると、3面現示板の真ん中一番背の高いのが下関方上り線(209LQ2)、右が下関方下り線(209LQ1)、左が門司港方(209LK2)と進路が定められている。旅客線貨物線とも下関方への進路は関門トンネルの非常時に備えてか上り線、下り線双方へ進出できるようだ。

 山陰本線長門市発門司行841レの50系客車が2番ホームに着いて機関車は離れて行く。列車は折返し門司発長門市行840レとなり、下関までのひと区間を務めるEF308〔門〕が連結される。2・3・4番ホームは関門トンネルを出て来た下り列車がそのまま折返して上り線へ進出できる配線に組まれていた。 S57(1982)/8/18

 DD51864〔門〕牽引のホキ4700・ホキ6700混結の専用貨物が1番ホームを通過する。重く響くジョイント音が規則正しく続くのが小気味良く聞こえる。 S57(1982)/8/18

 関門トンネルは昭和17(1942)年に開通、昭和36(1961)年までEF10が関門接続を行っていた。北九州電化で交直接続のEF30が登場、EF81の時代まで孤塁を守ってきた。シルバーのコルゲートにグリーンナンバーのコントラストが眩しい異色の機関車EF30は昭和36(1961)年に17輛、40(1965)年に2輛、ヨンサントオで3輛を増備し総勢22輛が幡生(操)~門司(操)を闊歩した。