転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊後中村 昭和61年

 国鉄時代末期は入換を行う貨物列車が無くなり、荷物列車も終わり、馴れ親しんできた気動車や電車の塗装が変わるなどそれまで情熱を注いできた事に興味が薄れ始めていた。それでも子守を兼ねたドライブは気になる所へ進路をとり、新しい国道バイパスからは裏通りとなった商店街と豊後中村駅への旧道に入っていた。
 誰もいないがらんとした駅改札口横の駅名板は国鉄時代の香りが漂っていた。

 残念ながら駅本屋は撮っていない。脇に掲げられた飯田高原、くじゅう連山の鳥瞰図は「駅が登山口だったころ」を今に伝える貴重な産物と言える。この時すでに廃線になっていた宮原線も描かれて登山者を魅了する山の名前がひときわ目立っていた。駅名板もりっぱなものが飾られていた。

 列車から降り立った登山者を乗せるバスが行き交ったという駅前ロータリーを偶然にも撮っていた。誰もいない駅前広場であった。 久大本線豊後中村 S61(1986)/4

 国鉄時代が終わろうとする時の豊後中村駅は閑散とした印象であった。昭和44年の模様は小川秀三さんの記録から活気横溢の鉄道情景が伝わり、季刊「のぼろ」は駅が登山口だったころの古き良き時代を教えてくれた。豊後中村駅の栄枯盛衰を感じることができた。

 久大本線豊後中村駅 玖珠郡九重町
 昭和3(1928)年10月28日開業(大湯線)
 キロ程 83.1