転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大分・下郡で出会った客車 オハ41

 オハ41は地方都市の通勤輸送のために旧1等車から格下げされた車輛をロングシート車に改造した形式で、種車が多岐に渡っていたのでさまざまな形態があったようだ。
 豊肥本線上り豊後竹田行に乗車する機会があり、初めて客車のロングシートを見て仰天する。キハ30の扉間のロングシートは見たことがあるが、20mもある客車の端から端まで続く長手腰掛に異様な雰囲気を感じとったものだ。蒸機時代の当時、そんな変な客車を写真に撮ろうと思ったこともなく蒸機終焉と同時期に廃車になっていたことすら知らなかった。大分のオハ41は100番台が3輛(広窓)、200番台が1輛(狭窓)の計4輛が稼働していた。

 広い窓のオハ41 113・114・115の3輛は、昭和39(1964)年3月オロ40の2等格下げでオハ55に、さらに昭和40(1965)年12月以降ロングシート車のオハ41に改造された経緯がある。オハ35の窓が11個なのに対し種車の窓8個は外観も特異に見えたのではないだろうか。

 狭窓のオハ41202は昭和40(1965)年3月オロ41を2等格下げでオハ51に、その後小倉・鹿児島工場で腰掛を撤去してロングシート化されオハ41200番台を名乗っている。豊肥本線C58牽引の6輛編成に組まれていたかもしれないが外観からはわからなかった。