
列車番号6000番台を名乗る季節列車“桜島”はハドソンC60に牽かれて姿を現す。前日14輛で東京を出た列車は6輛の熊本落しで終着鹿児島へはオロ11が入った8輛編成であった。 6201レ“桜島”

C6017〔熊〕が先頭に立っていた。熊本の2輛に定期運用はなく臨時列車のスジに充当されていたと思われる。サイドから見るとC59の面影が漂う巨大なテンダがとても魅力的に映る。

“桜島”8輛編成はオロ11以外はスハ43系・オハ35系で組まれていたようだ。“桜島”はその後、鹿児島電化で“霧島”が電車特急に格上げされたのに伴って日豊本線回り“高千穂”の併結相手となり、昭和50(1975)年3月改正まで“桜島・高千穂”として運転された。

東北本線電化で盛岡から鹿児島に来たC6016〔鹿〕が汐留発鹿児島行荷43レを牽いて終着前の勾配に挑む。

鹿児島機関区のC60は7輛(16・18・26・28・29・37・107)が配置され、鹿児島~熊本間往復と、鹿児島を出て熊本・八代・出水・川内を経由して3日後に鹿児島に戻る運用が組まれていた。C6029〔鹿〕の牽く荷43レは前日の140レで熊本に上った折返しである。

C6026〔鹿〕は鹿児島・鳥栖と渡り歩き、長崎本線・鹿児島本線で優等列車の先頭に立った輝かしい履歴を秘めている。 223レ

ハドソンC61は6輛(12・13・14・31・32・33)が鳥栖に配置され、鹿児島に転属した後電化までそのナンバーは変わることはなかった。C6113〔鹿〕だけ前方に傾いた独特のスタイルのデフレクタを装備していた。 127レ

D5149〔出〕の牽く上り貨物列車が坂を下って来た。オロ11の回送が気になる。

ワキとコキだけの編成から笹島と香椎・鹿児島を結ぶ急行貨物列車“あけぼの”と思われる。牽引機はD5194〔出〕で大形の形式入ナンバープレートが魅力的。 5062レ

朝2本の出水始発の下り列車はD51とC57牽引だったようだ。D51592〔出〕が長い編成を従えて鹿児島へと向かう。 225レ

気動車急行“かいもん”は指宿枕崎線山川と博多を結ぶ観光列車。山川を8時に出た上りは西鹿児島9時、熊本13時、博多着は15時前で約7時間弱の列車旅であった。

東京から門司までの31レ“霧島・高千穂”は16輛編成で運転される。分割された“霧島”編成は荷物・郵便車は鳥栖・熊本で解放され終着の西鹿児島では7輛となる。食堂車オシ17が組まれた編成は8輛を数え、増結車が入っていたのかもしれない。

DD51619〔鳥〕率いる21レ“あかつき1号”。“あかつき”は2本設定され、鳥栖で長崎と佐世保編成がそれぞれ分割される。長崎と佐世保の分割編成は簡易電源車マヤ20が連結されていた。

鹿児島本線南端は湯之元から西鹿児島にかけて薩摩半島のつけ根を横切る線形となり上伊集院をサミットとする山越えがひかえている。下り列車は薩摩松元から20‰の上り坂に挑む。

D51235〔出〕は昭和45(1970)年10月の鹿児島本線全線完成により出水から厚狭に転属し美祢線で活躍した。

C6029〔鹿〕が鹿児島発熊本行普通列車を牽く。給水温め器カバーから伸びるヘッドマークステイは往年のブルートレインを牽引していた証しであろう。 144レ 上伊集院


2D“なは”は西鹿児島8:55発小倉14:42着。2001D“日向”は宮崎9:05発小倉14:45着。小倉で2列車併結作業が行われ、2D“なは・日向”として15:50大阪に向けて出発する。“なは”食堂車の入った7輛、“日向”6輛であった。

西鹿児島発熊本行102D“そてつ1号”。ヨンサントオ以前は西鹿児島~指宿間下りだけの準急であった。 キハ5856〔熊クマ〕他 上伊集院

C6037〔鹿〕はC6026・28と共にC59から従輪を2軸とした軸重軽減改造後直ちに鹿児島へ配属されたナンバーである。 144レ 上伊集院

石炭10t、水25㎥の炭水車はやけに迫力がある。