転轍器

古き良き時代の鉄道情景

新鶴見操車場 半世紀前

 昭和49年の秋頃に新鶴見操車場へ出かけている。35ミリフィルム36枚撮り6段のネガ袋に年月と「新鶴見操車場」と書いてある。写真が残っているので当時憧れていた新鶴見操車場へ行ったのはまちがいない。ただこの写真を撮った場所は広大な操車場のどの辺りなのか、また最寄りの駅はどこで下車し、どう歩いて来たのかは全く思い出せないでいる。

 新鶴見操車場と南武線の位置関係を略図で示す。当時操車場内に「鹿島田」という場所を知っていたので南武線鹿島田駅から歩いたのではないか。いや南武線の各駅からはどこも近距離で何れも該当しそうで全くわからなくなってしまった。

 思い出す術もなく行き詰まりお手上げとなった。東京都の「線路端」さんへ写真を見ていただき撮影場所と駅からのルートの推理をお願いした。

 ネガの番号順で見当していただく。当時借り物の望遠レンズで撮った写真は皆機関車ばかり、しかも扱い不慣れでピントが甘く、また周りが写っているのが僅かで特定は困難であろうと思っていた。

 線路端さんには難儀をおかけしたが的確な返信をいただき、私が構えたであろう場所を特定していただき驚きであった。ネガ番号020~023は上り線側から、024~027は下り線側からの撮影であった。その根拠はご自身が撮影された立ち位置と同じ構図、照明塔と高圧鉄塔の位置、線路脇に建つ製罐工場の建物、写り込んだ陸橋や信号機からであった。そこは新鶴見操車場の南端、「前袋」と呼ばれる場所で、組成の終わった貨物列車が発車する位置であった。

 上記9枚の写真から私の立ち位置を見事に特定していただき、それを操車場配線図に示したのがこの図である。示された根拠のうち、「13」番標記の出発信号機脇に待機するEF58の写真が私にとっては推理小説の解答を提示されたようでしびれてしまった。その詳細を伝えたくてそれらしい線路配線図をExcelで書いた次第。
 図の第二京浜国道南武線尻手駅から操車場南端を乗越して南進している。ということから線路端さんの推理通り「50年前、私は南武線尻手駅下車、第二京浜国道を歩いて現場に到達していた」。記憶喪失の私の行動を見事に再現していただいて感動と感激、感謝に満ち溢れている。

 【写真023】動き出したワム編成を後追いで撮っている。線路端さんも同位置で高島貨物線の列車を撮られたとのことで、ここは第二京浜国道がオーバークロスするガードの真下であった。私は何も気づかなかったが、入換信号機が黒く潰れているのが何よりの証拠である。

 【写真024】海上コンテナ積載のコキ1000を率いるEF15を撮る。後方右側の背の高い照明塔、左側の高圧鉄塔が建っていることから、下り出発群線方を向いてカメラを構えているようだ。

 【写真020】右側の建物は「前袋信号扱所」と判明した。線路端さん撮影の機関車の後方に写り込んだ画像を拡大し、小さな看板が掲げられていたのが確認できた。跨線橋を渡って上り線側から構内を望んだものとわかった。

 【写真027】下り本線、構内仕切り柵の外側から鹿島田方にカメラを向けている。後方は矢向跨線橋のようだ。手前に写り込んだ距離標は1/2と読める。趣味誌に掲載された東海道線列車ダイヤと東海道線線路図では「新鶴見前袋」のキロ程が異なっていることに気づき不思議に思っていた。列車ダイヤは汐留起点で「新鶴見前袋は」19.6Km、線路図では15.499Kmと記載されている。汐留~品川間は4.9Kmで、品川起点で起算すると双方近い値にはなるので、キロ程は運転側と地上側とで便宜上異なった定義で運用が成されていたのかもしれない。

 写真:新鶴見操車場前袋 S49(1974)/10

 長年ネガ袋で眠っていた新鶴見操車場でのスナップが日の目を見ることができた。線路端さんから「今回の超難問への解答探しは充実した時間を費やすことができ、また50年ぶりの“気づき”があった」とのコメントをお聞きし、いっしょに沼にはまって楽しい時間を過ごせたことに感謝申しあげます。