
西の終着駅、長崎に初めて降り立ったのは中学校の修学旅行の時で、行止まりの駅と思いきや線路はさらに港の方へ延びていたのが印象的であった。18年後長崎観光の機会があり、長崎駅を訪ねてみた。駅前の高架広場はあの時と同じ、皆で整列した所からステンドグラスの美しい急傾斜の三角屋根の駅舎にレンズを向ける。日暮れの時刻を大時計が刻んでいた。 長崎 S63(1988)/1

2番線は到着した“かもめ15号”8輛編成が、3番線は鳥栖行を掲げたタウンシャトル4輛編成が並んでいた。

カメラを右に振ると洗浄線と留置線が見える。キハ30は長与・大草回りの非電化旧線用であろう。ヤードのブルートレインは新大阪行“あかつき”6輛編成で、この後夜の帳が下りた頃に発ち、肥前山口で佐世保編成と併結する。とてつもなく広い構内に留置車輛はごくわずか、当然のことながら一世を風靡した鮮魚特急レサ10000系は過ぎし日の情景と納得する。