転轍器

古き良き時代の鉄道情景

485系“にちりん”

 485系“にちりん”の登場は新幹線岡山開業の昭和47(1972)年3月以降、新大阪~大分間“みどり”の下り到着後、大分~博多間を往復する間合い運用が始まりであった。南宮崎電化で運転区間は宮崎へ延伸、新幹線博多開業の昭和50(1975)年3月改正で博多・小倉~大分・宮崎間8往復に増強された。さらに昭和54(1979)年10月、日豊本線全線電化で西鹿児島に達している。

 山陽特急“みどり”編成でスタートした時はサロ481 2輛、サシ481を含んだ11輛編成であった。以降サシ481とサハ481を入替えた11輛、サロ1輛減車の10輛、そこからサシ減車の9輛、電動車1ユニット減の7輛と年代とともに変化していった。

 クハ481 200番台は昭和47(1972)年10月の日本海縦貫線電化による特急“白鳥”の電車化の際に登場した。ボンネット形から大きくイメージが変わった貫通形運転台は分割扉と上下左右のドアレールが目を引いた。 クハ481-255〔門ミフ〕 大分 S61(1986)/10

 イラスト入トレインマークは昭和53年10月改正時に登場した。 日豊本線下ノ江 S55(1980)/7/6

 ボンネット形のクハ481はきのこ形クーラーが印象的。スカートは60Hz用赤、50HZ用クリームと定められていたらしいが、転配により両方見ることができた。 クハ481-2〔鹿カコ〕 日豊本線東別府~西大分 S53(1978)/9/5

 手前に写っているモハ484の車端に見えるルーバーは床置形クーラーのグリルで、モハ484初期形の特ちょうとのこと。

 モハ484とモハ485は50・60Hz両用3電源の電動車で昭和43(1968)年10月に登場した。モハ485-97以降車はクーラーをきのこ形AU12から箱形AU13に変更した標準タイプ。 モハ485-150〔門ミフ〕 大分 S61(1986)/10

 2位側に汚物処理装置が見える。 モハ485-133〔門ミフ〕 大分 S61(1986)/10

 モハ485-1~96の初期グループはきのこ形クーラーが特ちょうである。 モハ485-33〔鹿カコ〕 日豊本線杵築~大神 S53(1978)/9/19

 モハ484 200番台はモハ485-97以降とユニットを組む。クーラーは集中形AU71。撮影時は交流区間だけの運転となっていたのでパンタグラフは1基撤去されている。 モハ484-252〔門ミフ〕 大分 S61(1986)/10

 サロ481-52以降は従来のきのこ形クーラー3台からAU13E箱形5台に変更されたタイプ。サロ2輛組込みの11輛編成ではサシ481とサハ481との関連でグリーン車が4・5号車、5・6号車のパターンがあった。編成短縮後はグリーン車は4号車に固定された。 サロ481-89〔門ミフ〕 大分 S61(1986)/10

 ネガを探したらたまたまサシ481トップナンバーを撮っていたことに気づく。きのこ形クーラー小2台と大2台の屋根上、両側に砲弾形のライトを備えた簡易運転台が設置されている。 サシ481-1〔鹿カコ〕 日豊本線杵築~大神  S53(1978)/9/19

 日豊本線の海側から見たサシ481。博多行5030M“にちりん5号”はサシに続くサロ481が1輛なので5号車欠車の10輛編成と思われる。 日豊本線大川司(信)~杵築 S53(1978)/9/19

 きのこ形クーラーの編成は往年の特急電車の印象を抱く。1号車クハ481・2号車モハ484・3号車モハ485・4号車サロ481…。 日豊本線杵築~大神 S53(1978)/9/19

 サシ481が入った11輛編成の4013M“にちりん1号”宮崎行が大分川を渡る。愛称板が外れて蛍光灯がむき出しになっている。 日豊本線大分~高城 S50(1975)/3/7

 11号車は赤ヒゲ、赤スカートクリーム帯のクハ481。愛称板の書体が細く見える。

 4・5号車サロ481、6号車はサシ481からサハ481に置換えられた11輛編成。 5031M“にちりん6号” 日豊本線坂ノ市~幸崎 S53(1978)/7/14

 にちりん11輛編成時代は4・5・6号車がサロ481×2+サシ481とサハ481+サロ481×2の2通りがあった。

 昭和50(1975)年11月の奥羽本線羽前千歳~秋田間電化完成で、“つばさ”が気動車から485系に置換えられた際、食堂車は“にちりん”編成から捻出されたと聞いたことがある。配置表で辿ってみると、昭和50(1975)年では南福岡にサシ481(57・58・59・61・62・63) 6輛が配置されていた。昭和53(1978)年では上記6輛が秋田運転区に記載され、このナンバーが日豊本線“にちりん”から奥羽本線“つばさ”へ転身したものと思われる。

 奥羽本線日豊本線の関係は、DF50秋田→大分、C61青森→宮崎、D51秋田・横手→南延岡と蒸機時代から縁が深かったが、電車時代もサシ481南福岡→秋田と関係が続いていたことに思いがけない結びつきを感じる。

 4号車サロ481、5号車サシ481の10輛編成。 3026M“にちりん6号”小倉行 日豊本線亀川~別府 S55(1980)/9/14

 昭和55(1980)年10月改正までは4・5号車グリーン車の11輛編成と、4号車グリーン車5号車食堂車(営業休止)の10輛編成が混在していた。

 博多発西鹿児島行5027M“にちりん2号”9輛編成。前年10月の日豊本線全線電化完成で485系西鹿児島へ南進する。 日豊本線大在 S56(1981)/2/8

 大分発小倉行3032M“にちりん22号”9輛編成。クハ481はクリームスカートでタイフォンカバーがアクセントになっている。 日豊本線東別府~西大分 S56(1981)/3/8

 昭和55(1980)年10月改正は急行列車の格上げで485系“にちりん”は13往復と増大、編成は9輛に減車された。この時2往復は583系が登場している。

 博多発宮崎行5029M“にちりん19号”7輛編成。7号車は181系改造のクハ481-501で、増発と編成短縮化で不足する先頭車の改造が行われていた。車体の高さが違うのがよくわかる。 日豊本線東別府 S60(1985)/2/25

 大分発小倉行3032M“にちりん22号”7輛編成。小倉寄りはボンネットクハで、大分寄りは貫通形200番台で組まれている。 日豊本線東別府~西大分 S60(1985)/3/6

 第6八坂川橋梁を行く。ボンネットクハにイラストマークが入っている。 S61(1986)/3

 モハ484の第2パンタグラフが取外されるようになったのはいつ頃からであろうか。上から見ると撤去されているのがわかる。 日豊本線大在~坂ノ市 S61(1985)/11

 昭和59(1984)年2月改正で“有明”と共通の7輛編成となった。昭和60(1985)年3月改正は編成短縮化のための先頭車クモハ485・クロ480・クハ480等の改造新形式で5輛編成も誕生し、国鉄時代の終焉を迎える。

 博多発大分行5029M“にちりん19号”5輛編成。1号車クロ480はクハ481 200番台の顔とは印象が異なり、サロ481に非貫通タイプの運転台が取り付けられて誕生している。5号車はモハ485から非貫通先頭車化改造されたクモハ485である。 日豊本線杵築~大神  S61(1986)/3

 国鉄時代に撮った最後の485系“にちりん”の写真となった。何気にカメラを向けた電車“にちりん”は振り返ると約11年の消長を見てきたことになる。 大分 S61(1986)/10