昭和59(1984)年2月改正で貨物輸送は、ヤード系輸送から拠点間直行輸送への転換が計られ、コンテナ輸送・物資別適合輸送・車扱直行輸送に集約された。趣味誌で見た、新鶴見操車場を始めとする各地の貨車の墓場と化したヤードの写真はとても痛々しく映ったものだ。苅田港ヤードへ来てそのような光景を目の当たりにして言葉を失った。

かねてより気になっていた苅田港駅を訪れたのは時すでに遅く昭和60(1985)年の夏であった。広い構内は役目を終えた貨車が集められていた。

かつて石炭車の列が並んだヤードは草が生い茂り留置貨車の下回りを覆い隠すほどであった。

小波瀬側から構内を望む。

ヤード側から信号梃子扱い所を見る。構内を横切るのは石灰石のベルトコンベアかもしれない。

周防灘に面した石炭桟橋の面影。

車票を見ると発駅は門司と読める。検査級別標記がC2からB2に書き換えられている。

苅田港留置指示の札が票差しに入っている。全般検査標記は何故か書き換えられている。

ヨ14187 形式ヨ5000 静ヒシ 自重9.8t 換算1.0 B2 58-3/62-3 名古屋工

ヨ6215 形式ヨ6000 名イナ 自重8.6t 換算0.8 B2 58-8/62-8 名古屋工

ワフ29631 形式ワフ29500 秋アソ 荷重5t 自重10.9t 換算1.4 B2 58-4/62-4 土崎工
撮影:苅田港 S60(1985)/8/17