転轍器

古き良き時代の鉄道情景

その後見たタキ1900

 鹿児島本線貨物線をDD51が牽くタキ編成が通っている。外浜から金田への返空列車と思われる。蒸機時代の金田からのセメント輸送はセメントクリンカ専用のホキ6800の列をD50・D51D60DD51が牽いていた。平成時代になって輸送形態がセメントクリンカから粉体セメントに変わったためタキ1900が使われるようになったようだ。 鹿児島本線貨物線 H6(1994)/4/26

 金田からのタキ1900編成をDD511002〔門〕が牽引する。1000番台は800番台グループと違って799からの飛び番号であるらしい。
 撮影時はかつての伊田線田川線糸田線は共に第三セクター平成筑豊鉄道会社に移管されていた。DD51牽引のセメント列車が健在だったのは幸運であった。 鹿児島本線貨物線 H6(1994)/4/26

 コタキ△61901はタキ1900の60000番台と呼んでよいのだろうか。国鉄時代には無かったナンバー前の「△」標記は未だわからない。タキ1900の付番は1900~1999の次は1900の前に1~11(11900~/111900~)と加算され、111986から112000~、112100~、112300~と飛んで1,729輛が製造されたとのこと。(「プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(吉岡心平著/ネコ・パブリッシング/H20(2008)年8月刊)」から)

 蒸機時代はセメントクリンカ輸送だったので、独特な形態のホキ6800が使われていた。社名板「三井セメント株式会社」が当時の社名である。天王寺局標記のワフ22000も味がある。 伊田線金田 S48(1973)/3/31