転轍器

古き良き時代の鉄道情景

直方平野 若松東折尾小運転

 国道3号線の陸橋から筑豊本線折尾駅方面を望む。C55の下り列車が行く左側の複線が若松からの、右側2線が鹿児島本線へ接続する複線で、前者が第2上り下り線、後者が第1上り下り線と呼ばれている。そしてこの位置は折尾支線構内と呼ばれていたようだ(呼称は大塚孝さん伝授による)。昭和40年代初頭にこの位置で撮られた写真を見ると、2筋の複線の間に2線が、右側の複線の外側に2線が敷かれ、計8線が並ぶヤードであった。若松から東折尾や門司方面への中継と折返しのための設備であったと聞いた。
 若松から鹿児島本線方面へのルートは本城信号場から折尾までの短絡線もあったので、全盛期は折尾駅の北と南で転線や折返しが多く設定されていたのかもしれない。 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/1/6

 折尾~中間間の複々線は、折尾側は線路別複々線、中間側は方向別複々線で敷設されていた。両駅間の地形を利用して設けられた立体交差で、若松からの下り線(第2下り線)が黒崎方面の上り線(第1上り線)を乗越す“ひねり”が入れられていた。
 ちょうどその乗越し位置に若松から来た49654〔若〕が牽く下り貨物列車が現れた。若松と東折尾を中間経由で行き来する小運転があったことを後に知る。 577レ 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/8/11

 セフ1の次は2個窓のワフ35000が続く。第1上り線を乗越して下り勾配にかかる。

 折尾支線構内をスイッチバックして接続線へと出る折返し線はいつ頃まで機能していたのだろうか。折尾折返しができなくなったので、若松~東折尾間の小運転列車は一旦中間まで出なければならなくなったのであろう。それにしてもセフ+ワフ+トラ×18+セフの見事な編成であった。 577レ 筑豊本線第2下り線 S47(1972)/8/11

 直方平野の複々線は次から次へと列車がやって来る。

 筑豊本線折尾~中間間の第1上り線に逆向キュウロクの牽く貨物列車が姿を現す。

 機関車は先ほどの49654〔若〕で、同じ編成を牽いて来たことに気づく。

 若松機関区9600の仕業は、本線列車とは別に、東折尾・黒崎・西八幡・枝光・上戸畑等大貨物駅の小運転と入換が課されていたようだ(大塚孝さん伝授による)。

 トラ45000は妻板はプレス鋼板で側版の「あおり戸」は木製で味がある。若松から下り線、中間から上り線を行く同じ機関車の牽く同じ編成を捉えられたのは幸運であった。趣味誌に掲載された列車ダイヤを辿ると、その通りのスジに改めて納得する。 578レ 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/8/11