転轍器

古き良き時代の鉄道情景

国鉄日田彦山線の面影 宝珠山川沿い

 筑前岩屋~大行司間には深い谷を跨ぐ雄大なコンクリート橋が存在する。山沿いの高い位置での線路敷であったので豪雨災害に負けずBRT専用道として今も現役なのはうれしいことだ。筑前岩屋を出て最初のアーチ橋が栗木野橋梁だ。

 山側から見た栗木野橋梁(金剛野めがね橋)。橋長71.2m、アーチ径間14m、呼称は5連無筋コンクリート充腹アーチ橋と云うらしい。鉄筋を使わないで造る手法は宮原線で見たアーチ橋と共通しているように感じる。日田彦山線のアーチ橋は昭和13(1938)年竣工、宮原線も昭和14(1939)年頃と時期も近い。

 宝珠山川に沿った県道から望む宝珠山橋梁(奈良尾めがね橋)。きれいに積まれた石垣の棚田からアーチ橋を遠望する。

 瀟洒な曲線の5連アーチコンクリート橋。宝珠山橋梁は橋長79.2m、アーチ径間14m、構造は5連無筋コンクリート充腹アーチ橋と呼称されている。

 筑前岩屋を出て3つめの橋は第2大行司橋梁(松尾めがね橋)。橋長54.9m、アーチ径間14m、4連無筋コンクリート充腹アーチ橋。

 近づいて見上げる。宮原線松浦線のアーチ橋には優雅な飾り穴が施されている物もあったが、こちらの3橋にその意匠は無い。

 山側からの景色。何かヨーロッパ調のフォルムを感じる。画面右側に大行司下り遠方信号機が建っていた。

 宝珠山川大肥川の支流、筑後川水系一級河川とのこと。釈迦ヶ岳を源流とし、筑前岩屋駅付近を日田彦山線に沿って流れ、大行司駅南方で大肥川と合流する。

 宝珠山川大肥川が合流する辺りは添田方と飯塚方面への分かれ道で、その入り組んだ街並みの先に大行司駅はある。駅に向かう細道の入り口に木造校舎のような古びた建物が鎮座している。グリーンマックスのストラクチャーシリーズの「木造校舎の学校」を見るようだ。と同時に独特のイラストで魅了される「小林信夫の模型世界」に迷い込んだ錯覚におちいる。

 別の日に運動場側から校舎を見る。山側の高い位置に線路敷がある。昭和30年代、私が通った小学校の運動場に沿って久大本線の線路があり、そこを行くD60の咆哮と重ねて見てしまう。

 駅舎は建て替えられてきれいなっている。駅名板は以前からの物を使用し、蛍光灯ともに味が出ている。

 改札口を出て息を切らして長い階段を昇りホームに出る。ちょうど日田行気動車列車が発車するところであった。40年も前の景色であるが今もこの鉄道風景が続いていたらと切望する。

原橋梁
 大行司駅上り遠方信号機が建っていたと思われる位置に小川と生活道路を跨ぐ小さなコンクリート橋が架けられていた。蔦のからまるコンクリート壁に郷愁を覚える。

 大行司側、民家の軒先から原橋梁を見る。

 きれいな線路敷はBRT専用道に変わっている。前方が宝珠山方、後方が大行司駅である。築堤下は国道211号線宝珠山川が合流した大肥川が並行している。

福井架道橋
 国道211号を跨ぐ。画面左が大行司側。大行司から宝珠山にかけて下り勾配が続く。

 宝珠山側から見た福井架道橋。BRT専用道になったが、まるで鉄道風景のようだ。

 大行司から宝珠山にかけて鉄道時代は25‰の下り勾配で、BRTもそれに何ら変わりはない。築堤はカバーが掛けられたような補強が施されている。

 国道側から下り勾配の築堤を見る。BRT専用道と一般道との交差点辺りに宝珠山下り場内信号機が、手前福井架道橋の位置に下り遠方信号機が建っていた。

 時刻表昭和45(1970)年4月号から筑前岩屋~大鶴間の時刻をつないでダイヤを作った。普通列車7往復(客車4・気動車3)、急行列車下り4・上り5本が設定されている。列車交換は筑前岩屋5・大行司2・宝珠山6回を数える。複雑な運用で運転された急行列車は以下にまとめてみた。
 ●あきよし:浜田~天ヶ瀬 
 ●下りあさぎり:門司港由布院
 ●上りあさぎり:天ヶ瀬~門司港
 ●はんだ:門司港由布院
 ●日田:直方~小倉~由布院
 ●ひこさん:由布院~博多(下りあさぎり折返し)
 福岡・北九州の奥座敷へと数多くの急行列車が走る日田彦山線久大本線とともに急行列車街道でもあった。

 私が抱く気動車列車のイメージは、クリームと朱色塗分けで、バス窓ならなおさらであった。旧形客車同様、それがあたり前の日常であったのに、ある時気づいたら気動車は首都圏色と呼ばれるオレンジ一色となり、旧形客車は姿を消していた。線路が無くなってしまった道床でふと目をつぶるとこの光景が浮かんでくる。

 撮影:R7(2025)/ 10/1 10/29 11/3

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