転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南延岡機関区脇の小道から

 C1293〔延〕が2輛の客車を従えて南延岡を後にする。3本並ぶ出発信号機の真ん中の腕木が下がっているので2番線から発車している。土曜日だけ、片道運転の南延岡発市棚行のようだ。サボは下げられているが、白く見える。日豊本線の市棚発着列車に客車列車はなかったので、琺瑯製サボに紙が貼られていたのではないだろうか。狭窓の客車2輛は南延岡に配備されていたスハフ36と思われる。この後、気動車化されているので日豊本線を走るC12の客車列車として貴重な記録となった。 南延岡発市棚行6530レ S45(1970)頃

 扇形庫を右に見て、南延岡下り場内信号機が建つ手前でD51の牽く混合列車を見送る。客車は画像拡大するとオハフ3359〔門モシ〕で、サボは「佐伯行」のように見える。延岡発佐伯行1598レの送り込みではないかと想像する。場内信号機は一番左が本屋寄り1番線、信号塔の従属信号機付き2段構えが2番下り本線、その右が3番線で南延岡1~3番線は何れも上下列車が進入できる配線であった。 S45(1970)頃

 機関区の線路を挟んだ対面側にも鉄道施設があったようで「構内立入禁止」の看板が建っている。引上線では48693〔延〕が停まっている。この角度からはキャブ後方に幕が取付けられているのがわかる。48692・48693・78626の3輛が配置され、細島線と延岡・南延岡の入換に使われていた。 S45(1970)頃

下鴨生 後藤寺線・漆生線

 後藤寺行気動車が下鴨生を発車したその時、構内分岐手前で待機していた漆生からの貨物列車が突如力行して迫って来た。まるで複線区間でのすれ違いのように映る。下鴨生は後藤寺線と漆生線の分岐駅で、漆生発の69632〔直〕の牽く貨物列車は下鴨生を通過する。 682レ 下鴨生 S47(1972)/3/30

 後藤寺線は後藤寺~船尾間の石灰列車を除いて全線通しの貨物列車はごくわずかであった。筑前庄内~船尾間はサミットの入水トンネルを抜ける25パーミルの山越えがある。29608〔後〕の貨物列車は船尾発のセフ+木製あおり戸トラ+全鋼製トラの3輛編成であった。有効長の長い下鴨生構内は後藤寺線、漆生線とも上下線どちらにも入れる配線であった。画面には2線対応の腕木式信号機、転轍転換機、転轍器標識、信号鉄管ワイヤ、転轍小屋、距離標(9)、曲線標(400)、枕木柵等、さまざまな線路周りのアクセサリーが写り込んでいる。 582レ 下鴨生 S48(1973)/3/28 写真:BBSさん

憧れのEF60501

 特急列車牽引で登場したEF60500番台は、その後のブルートレイン増発とEF65の台頭で特急運用からは撤退し貨物列車仕業となった。幸いなことにしばらくの間は特急塗装のまま稼働し、その後一般塗装に変更されたようだ。サイドのクリームのラインは20系寝台車のそれと揃ってとても魅力的で憧れの機関車であった。 EF60501〔浜〕 S44(1969)/3/27 東海道本線豊橋

 KTMカツミ模型店1968カタログから
 同年、私はカツミ模型店の通販カタログに載った“富士”のヘッドマークを掲げたEF60501の勇姿に魅了されていた。こんなカッコイイ機関車が欲しいと念じていたが、手にできたのは自由形のEB100であった…。

新幹線博多開業前の瀬野八越え区間

 下関発岡山行308M“山陽4号”
 岡山~広島・下関を結ぶ153系“山陽”は下り7本、上り8本が運転されていた。改正直前は10輛から7輛編成に短縮されていた。

 下関発岡山行3026M“はと3号”
 岡山~下関間約363Kmを特急“はと”では約5時間、急行“山陽”では約6時間を要していた。

 EF651054〔広〕の牽く貨物列車。EF651000番台は広島機関区に4輛配置されていた。

 EF53改造のEF59重連が上り貨物を押し上げる。広島側第2エンドは独特なゼブラ塗りが施されている。

 EF563〔宇〕から改造されたEF5922〔瀬〕。丸みのある元EF56の車体と、角張った元EF53の車体は対照的なフォルムであった。

 山陽本線八本松~瀬野 S50(1975)/3/4 写真:HAYAさん

 14系寝台で運転された東京発博多行11レ“あさかぜ2号”。EF65500番台が牽く上りブルートレインは補機を必要としなかったようだ。“彗星”等EF58牽引の列車は広島から補機が付いた。 広島 S50(1975)/3/4 写真:HAYAさん