東中津駅からしばらく日豊本線と並走しその先で見えなくなる謎の線路があるのは早くから知っていた。ただその存在に興味を魅かれることなく長い年月が過ぎていた。

ある日、日豊本線上り列車に乗車する機会があり、右側座席で東中津駅を過ぎた辺りから目を凝らして線路跡を追っていた。本線と並走する路盤、本線から離れていく地点の鉄橋は健在であった。 日豊本線中津~東中津 H23(2011)/11/13

下路プレートガーダーの桁、橋台、きれいな弧を描く築堤は時間が止ったようにそのままの状態で残っている。 H23(2011)/11/13

それから13年後。鉄橋に柵が取付けられている。 R6(2024)/4/5

中津市住宅地図昭和41年版索引ページから
引込線は日豊本線東中津駅から上り方向へかなり長い距離を並走し、小川を渡る地点で北西に離れその先に「三機工業」の表記が見える位置まで敷かれていた。左下にちらりと見える鉄道線は中津から分岐する大分交通耶馬渓線である。
「昭和42年版専用線一覧表(トワイライトゾーンMANUAL5/ネコ・パブリッシング/H8(1996)/11刊)」によると、所管駅:東中津/専用者:富士三機鋼管㈱中津工場/第三者使用:日本通運㈱/作業方法:国鉄機・私有機/作業キロ:2.3と記載されている。

重い腰を上げた時はすでに橋台、橋桁は撤去されていた。何故もっと早く動かなかったのか。 R8(2026)/6/10

列車から見えたカーブの先へ消えていった引込線跡を反対側から眺める。複線の日豊本線は右が中津方、左が東中津方で橋台跡はコンクリートで埋められている。 R8(2026)/6/10

線路跡は道路として使われている。築堤の切れ目は石積みで築かれ、小川を渡る橋台になっている。左がかつての道路跡と思われる。 R8(2026)/6/10

築堤の切れ目。線路が敷かれているような錯覚を覚える。

築堤を辿った先が工場跡と思われる。画面奥が東中津駅方。【地図右矢印】

上の位置から振り返えった所が専用線終点方と思われる。この辺りは開発が進み宅地化、大形商業施設の立地で様変わりしている。【地図左矢印】

中津市住宅地図昭和41年版から
東中津駅から延びてきた線路は「富士三機引込線」と記されている。住宅地図の上部はつながりのページが上被せになって工場の全景はつかめないが、たぶん工場敷地跡が商業施設ではないかと推測する。踏切跡と思われる位置から両方向見た景色が上写真である。
昭和40年代初頭は私は小学生であった。冒頭の地図右下辺りに当時住んでいたので大分交通耶馬渓線大貞公園駅や国鉄日豊本線東中津駅へは自転車で行ける距離であった。東中津駅で見た貨物列車はD50牽引(形式は後年に知る)で、耶馬渓線とは別格の貫禄があったのを感じていた。D50やD51が「富士三機引込線」に入り貨物を牽引していたのだろうと今になってロマンを味わっている。