転轍器

古き良き時代の鉄道情景

京阪電車寸景

 関西出張の折、京都での用事を終え次の訪問先である大日町へ向かうのに初めて京阪電車に乗車した。何も思わずに京都市営地下鉄でJR京都駅に着き、はて訪問先の最寄り駅は大阪モノレールの大日で、そこへ向かうには京阪本線門真市で乗り換える必要があった。しかしJR京都は京阪本線とは連絡が無く地図を頼りにJR奈良線に飛び乗った。

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 コンパクトなデジタルカメラを携えていたので思わず液晶モニターに電車を捉えてみた。これから乗る上品なグリーン系の7000系は普通「淀屋橋」行を掲げていた。 京阪本線東福寺 H19(2007)/2/2

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 出張時はいつも文庫判の地図を携えていた。JR京都から京阪本線に接続するのはJR奈良線でひとつめの東福寺ということがわかり、近鉄線と新幹線がある一番南側の奈良線ホームへ歩を進める。奈良線は京都を出てすぐ鴨川を渡り、東福寺まではわずか1.1Kmの距離であった。 でっか字まっぷ京都(昭文社/平成18年)

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 液晶モニターに映った特急電車に反応する。京阪特急といえば鳩のマークを掲げたテレビカーがまず先入観として浮かぶ。 京阪本線丹波橋 H19(2007)/2/2

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 伏見界隈は京阪本線近鉄京都線JR奈良線が寄り添っている。北側で近鉄京都線京阪本線をアンダークロスし竹田で京都市営地下鉄烏丸線と相互乗入を行っている。地図がなければこのような込み入った鉄道地帯を走っていることは実感できない。 でっか字まっぷ京都(昭文社/平成18年)

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 枚方市の様子。双方の電車の番号から「淀屋橋」行2812は2600系、「出町柳」行2544は2400系と思われる。どこの駅で見たかは定かでないが、イメージポスターの『京阪乗る人おけいはん。』のキャッチコピーはインパクト大で素晴らしいと思った。私の知っている「恵子さん」が浮かぶ。 京阪本線枚方市 H19(2007)/2/2

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 オレンジとレッドのきれいなツートンカラーの2階建て車輛が入った特急が出て行く。 京阪本線枚方市 H19(2007)/2/2

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 京阪本線京都府八幡市から府境を越えて大阪府枚方市に入る。都会の電車線は地方と違って県境はわかりにくい。枚方市駅交野線が分岐する3面6線の規模の大きい駅であった。交野線片町線を河内磐船付近でオーバークロスしている光景も印象に残っている。 文庫版エリアマップ大阪区分・都市図(昭文社/平成12年)

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 門真市で下車。線路はいつの間にか途中から複々線になっていた。上は高速道路近畿自動車道大阪モノレールが通っている。 京阪本線門真市 H19(2007)/2/2

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 私鉄の複々線に圧倒される。ビジネストリップなので次々に現れる高速電車見物とはいかなかった。残念ながら京阪電車スナップはここで終了と相成った。 京阪本線門真市 H19(2007)/2/2

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 京阪門真市から大阪モノレールに乗り換え、門真市からひとつめ大日へ向かった。大阪モノレール大阪環状線から放射状に延びる私鉄線を環状に結び、京阪本線をはじめ、地下鉄谷町線阪急京都線・千里線・宝塚線北大阪急行と接続していた。帰路の大日から千里中央まではまるで空中散歩のような車窓を楽しんだ。淀川を渡って眼下に広がる新幹線鳥飼基地と大阪貨物ターミナルの景色は壮観であった。 文庫版1/1万大阪(昭文社/平成12年)

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宮原線逍遥

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 町田駅近くの築堤を駆け上がると朝露で濡れた線路端はとても寒く、ピンと張り詰めた空気は顔を刺すような冷たさだった。上り豊後森行2番列車は肥後小国6:36発、宝泉寺7:21、町田7:35、恵良7:35、豊後森7:41着のダイヤで運転されていた。やっと辺りが明るくなった頃にキハ40が通過して行く。宝泉寺から町田にかけては町田川の河岸段丘に沿った築堤を走る。その下は国道と呼ぶにはたよりない326号線が寄り添っている。 222D 宮原線町田~宝泉寺 S59(1984)/11/28

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 みごとな9連アーチの廣平橋梁を廃線を惜しむ満員の乗客を乗せた臨時列車“宮原号”が渡っていく。まるで碓氷峠の煉瓦造りのめがね橋を見るような荘厳な景色と思う。 6226D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 小国杉後方にそびえる涌蓋山の山腹は地熱発電所の蒸気が吹きあがっているのが見える。キハ40+キハ58+キハ40の3連が紫煙を残して進んで行った。車窓から涌蓋山の山容は望めるだろうか。 9234D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 小国杉の美林を背景に町田川の河岸段丘を行く。 224D 宮原線町田~宝泉寺 S59(1984)/11/28

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 九重山群から万年山へ続く高原地帯を宮原線は通る。エンジン音高らかなキハ40は小国杉のトンネルへ消えて行く。 224D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/1

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 宝泉寺行キハ40単行が玖珠川橋梁を渡る。右岸で国道210号を、左岸で国道387号を跨ぐ。後方三角形の山は小倉岳と思われる。豊後森17:52発ー恵良17:58ー町田18:09ー宝泉寺18:15着。 229D 宮原線恵良~町田 S59(1984)/3

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 朝霧の残る玖珠盆地午前9時の構図。宝泉寺から寄り添っていた町田川は久大本線引治の近くで本流の玖珠川と合流し、玖珠盆地へと流れていく。カーブした玖珠川橋梁上のキハ40は玖珠川を上路プレートガーダーで渡り、国道210号線を下路プレートガーダーで乗り越して久大本線と出会い、複線の形の単線並列で恵良まで進む。遠く大岩扇山は朝霧でかすんでいる。 224D 宮原線恵良~町田 S59(1984)/11/1

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 上り2番線出発信号機の腕木が下がり、キハ402041〔分オイ〕が駅長の合図とともにゆっくりと動き出す。駅構内の様子はC11やキハ07が走っていた時代から何も変わっていないであろう。 227D 宮原線宝泉寺 S59(1984)/3/28

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 宮原線廃止直前は大分や博多からの直通列車が豊後森に着き、宮原線内を2往復して帰るダイヤが組まれていた。これまで宮原線では見られなかった急行形編成が最後の花道を飾った。 キハ58+キハ65+キハ58+キハ28の4連 6225D“宮原号” 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 日頃単行ばかりの宮原線も廃止直前のこの時ばかりは多数の臨時列車が運転された。1時間に1本の臨時ダイヤは上下列車が宝泉寺で交換する設定であった。牧歌的な高原風景をキハ40+キハ58+キハ40の3連が行く。 9233D 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

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 大分・熊本県境の荒涼とした台地を走る。別れを惜しむ臨時列車が帰った後、きょうの上りの最後を締めくくる228Dが高原の風とともに去って行った。廃止まであと2日。 宮原線麻生釣~北里 S59(1984)/11/28

肥後小国の印象

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 16時43分、キハ402038〔分オイ〕は上り最終の運用で肥後小国を後にする。キハ40はエンジン音を響かせながらだんだん小さくなって美しい杉木立に吸い込まれて行く。 228D 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 機回し線と留置線の間に設けられた花壇に駅名板が掲げられていた。宮原線肥後小国駅は恵良から26K640M、昭和29年3月15日の開業と記されている。海抜431Mの標柱、側線分岐の転轍器標識も見える。 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 2基の信号てこ装置。肥後小国の腕木式信号機は下り場内と上り出発の2基が建っていた。 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 行燈式のりっぱな駅名看板の下は廃止が決まってから設置されたのであろうか、日付入り乗車記念板が掲げられていた。 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 蒸機時代の給水塔と給炭台がまるで現役のような状態で残っていた。豊後森機関区に1輛だけ配置されていたC11191〔森〕がここで佇んでいるような光景を想像する。 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 小国地方は日田や飫肥と並んで九州の代表的林業地域。宮原線の建設は小国杉搬出が目的のひとつでもあった。車が止まっている所は貨物側線跡で、C11が来ていた時代は黒い有蓋車や無蓋車が置かれていたであろう。終着駅の線路はこのまま菊池方面へ延びているように見える。 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 肥後小国構内は本線と機回し線、それに機留線も健在であった。給水塔も給炭台も、貨物ホームも上屋もそのままの姿で残っていた。木材搬出全盛期は貨物側線にチキやトラが押し込まれて木の皮がめくれた太い丸太が積まれていたにちがいない。線路は構内南側も途切れることなく道路橋の所まで続き、あたかも菊池方面から列車が来るような構図が印象的であった。小国地方は昔から日田・豊後竹田阿蘇・菊池からの道が集まる交通の要衝の地でもあった。恵良からのレールは「小国線」として菊池まで延びる予定であったが、期待の構想ははかない夢で終わってしまい残念でならない。 宮原線肥後小国 S59(1984)/11/28

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 廃線を惜しむ記念列車が終着駅に入って来た。日頃は単行しかやって来ない駅は長編成の入場で活気づく。貨物上屋まであふれる多数の乗客の姿はホームが意外と長いことがわかる。 宮原線肥後小国 S59(1984)/11/28

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 キハ40は昭和52年に10系気動車の置換え用として誕生、一般形気動車も新系列の時代を迎えた。大分運転所は5輛の配置で豊肥本線久大本線宮原線で運用されている。 キハ402039〔分オイ〕 宮原線肥後小国 S59(1984)/9/27

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 肥後小国駅は昭和29年3月15日に開業、宝泉寺~肥後小国間19.3Kmが開通して宮原線恵良~肥後小国間が全通した時である。開通後は小国杉の木材搬出で大いに賑わったと聞く。駅舎の周りはコスモスが咲き誇っていた。 宮原線肥後小国 S59(1984)/10/8

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 国鉄案内板に貼られた宮原線廃止に伴う定期券利用者への今後のバス転換の運賃差額補償の案内。宮原線廃止まであと53日。寂しい思いがこみあげてくる。 S59(1984)/10/8

幸野川アーチ橋

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 肥後小国発豊後森行単行キハ40が国道と呼ぶにはふさわしくない隘路の387号線を跨ぐ雄大な幸野川アーチ橋に姿を現す。宮原線はコンクリート製アーチ橋が多く設置されていた。建設当時は戦争の金属供出のため極端な鉄不足で、この優雅なアーチ橋は鉄筋ではなく竹が使われた竹筋コンクリートで「竹筋橋」と呼ばれていた。 224D 宮原線北里~肥後小国 S59(1984)/11/1

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 上の写真の反対側からアーチ橋を見ると、遠く県境の山並みが望める。稲刈りの後の刈られた稲葉が美しい模様を作っている。 宮原線北里~肥後小国 S59(1984)/11/1

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 幸野川アーチ橋は橋脚壁に優雅にデザインされた3つの通風孔が施されていた。メルヘンの世界に踏み入れたような山里の景色に溶け込んだ情景と思う。 6226D 宮原線北里~肥後小国 S59(1984)/11/28

上り1番列車 玖珠盆地の入口

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 由布院始発の上り鳥栖行1番列車が引治を発車する。前照灯と運転位置表示灯が暗闇に浮かび、黒煙を噴きあげて迫ってくる。駅の引出しを終えればあとは恵良、豊後森と下り勾配が続く。 626レ 久大本線恵良~引治 S59(1984)/11/1

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 機関車のオレンジ色のランプが流れ、白地のサボが付いた赤い客車が続く。車体は朝露で濡れ窓は結露で曇っている。川霧が漂っているような早朝の高原はとても冷たい。

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 オハフ50ばかりがつながっている。

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 野上川に沿って下って来た列車は野上トンネルをぬけて玖珠川沿いに出る。カーブした玖珠川橋梁のこの辺りは玖珠川に野上川と町田川が合流して玖珠盆地へ流れていく。1/2と書かれた画面右の距離標は久留米起点80Kmと500mの地点を表わしている。5輛編成の鳥栖行はこの後連続下り勾配で玖珠盆地へと入って行く。 626レ 久大本線恵良~引治 S59(1984)/11/1