転轍器

古き良き時代の鉄道情景

吾妻線

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 吾妻線上越線渋川から大前に至る55.6㎞の上州の温泉地帯を通るローカル線で、新前橋電車区の70系と40系が走っていた。きれいなスカ色4輌編成が吾妻川を渡る。70系は福山で福塩線を見ていたが写真に収めたのはこの時が最初で最後であった。 吾妻線祖母島~小野上 S52(1977)/12/16

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 クモハ41+クハ55の編成は小山から両毛線、新前橋から上越線を経由し渋川から吾妻線に入るロングラン運用である。 527M 吾妻線祖母島~小野上 S52(1977)/12/16

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 上野発万座・鹿沢口行“草津2号”はクハ165+サロ165+モハ164+クモハ165+クハ165+モハ164+クモハ165の7輌編成。この列車は上野から水上行“ゆけむり3号”7輌を併結し14輌編成で新前橋まで走る。 4903M 吾妻線祖母島~小野上 S52(1977)/12/16

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 ホキ800を連ねた砕石返空編成をEF12が牽く。 吾妻線祖母島~小野上 S52(1977)/12/16

c57115.hatenablog.com

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 吾妻川の支流に架かる鉄橋を渡る。 吾妻線市城~中之条 S52(1977)/12/16

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 クハ76前面2本のステイは方向板掲出用と聞いた。 吾妻線市城~中之条 S52(1977)/12/16

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 165系7連は万座・鹿沢口で夜間滞泊し朝一番の快速列車で渋川をめざす。渋川からは急行上野行“草津1号”となる。四万川の河原から165系を見送る。 2524M 吾妻線中之条~群馬原町 S52(1977)/12/16

ED32

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 伊豆箱根鉄道駿豆本線を訪れた際に謎の機関車を撮っていた。その後詳細はわからないままネガ袋で長い間眠っていた。手持ち趣味誌のバックナンバーを探してみたが、国鉄の臨時列車が入線した際にヘッドマークを掲げて牽引した記事は見つけたが、撮影時のことはわからなかった。 駿豆本線大場 S51(1976)/2/6

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 いかつい機関車のナンバーはプレートかと思いきや手書きであった。モニターに沿った手摺りだけ全体のイメージと合わない気がする。台車は客車が履くTR11に似ているような、エンドビームに頑丈なステップが付いているがそれに呼応する手摺りが見当たらない、片側だけの標識灯は国鉄機と同じような、そんな感想を抱く。 駿豆本線大場 S51(1976)/2/6

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 ED33も居た。スタイルは旭化成の蓄電池機関車に似ているような気がする。 駿豆本線大場 S51(1976)/2/6

高円寺

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 高円寺の緩行線ホームから快速線ホームを望む。御茶ノ水から三鷹までの複々線は線路のひねりが入った御茶ノ水が方向別でそれ以外は線路別複々線であった。ちょうど上り東京行と下り豊田行のオレンジバーミリオンの電車が並んだところであった。101系と103系外観の見分けは電車に詳しい遠方の友から教わって何とか理解できるようになった。前面窓縦方向の長さが長い東京行が101系、窓縦幅が短く何となく締って見える顔の豊田行が103系と思われる。 中央本線高円寺 S53(1978)/2

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 高架複々線はさまざまな車輌が行き交った。10輌編成の101系・103系を始めとしてアルミの301系営団地下鉄東西線5000系、長距離列車115系165系・183系、臨時夜行客車、EF13・EF15貨物列車等バラエティに富んでいた。なかでも165系急行“アルプス・こまがね”は松本方面先頭にクハ165が連続して連結され、この珍しい編成を撮りたくて試みるも失敗に終わった苦い思い出がある。 中央本線高円寺 S53(1978)/2

荻窪

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 中野から高架線を走ってきた複々線荻窪の手前で地平に降り青梅街道をアンダーパスして駅に入り、再び西荻窪に向かって高架線となる。中央本線の長距離列車はかつて新宿でEF64の牽く客車列車を見たことがある。新宿発松本行は荷電連結の9輌編成で残雪の快速線を行く。 中央本線荻窪 S52(1977)/12

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 松本運転所115系の編成はクモハ115+モハ114+クハ115の3輌ユニット2組の間にサハ115 2輌をはさむ8輌で独特な組み方であった。クモニ83は新宿寄りに連結されて異彩を放ち、律儀に行先と列車番号掲示していた。新宿を出ると次に止まるのは立川で、その間27.2㎞もあった。 中央本線荻窪 S52(1977)/12

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 快速線を堂々とEF1513〔八〕の牽く貨物列車が通過する。前面窓庇とデフロスタが精悍な面構えを作っているように見える。 中央本線荻窪 S53(1978)/2

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 緩行線を「三鷹」を掲出したカナリアイエローの101系が行く。快速線は貨物列車が通り、しばらく並走する。荻窪三鷹寄りには緩行線快速線それぞれに引上げ線が設けられていた。11Rの標記は入換信号機で、白色灯2個水平点灯は停止、斜め点灯は進行を意味するらしい。 中央本線荻窪 S53(1978)/2

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 当時、先頭車運転席後ろはカーテンが降ろされて前面展望はできなかったと記憶しているが、東中野から立川まではほぼ直線の線形で見通しが良く、この区間乗車の際に自動閉塞信号機の現示パターンを理解することができた。細かく刻まれた閉塞区間ごとに閉塞信号機が設置され、先行列車が通り過ぎると赤現示、その列車が次の閉塞区間に進入すると橙黄現示、その先に入ると緑現示と次々に変化する様を興味深く見ていた。3灯式がそれで4灯式5灯式は色の組合せパターンがさらに複雑でおもしろかった。夜の時間帯は緩行線を黄色の電車の他に朱色の電車も走っていた、と思う。地平のホームからは南口のネオンが輝き私鉄沿線風景のようにも映る。はるか遠い日の良き時代を懐かしむ。 中央本線荻窪 S53(1978)/2 

豊州路の汽車電車

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 14時30分頃の豊後豊岡上りホーム。ED7615〔大〕の牽く荷物列車が駆けぬけて行く。日豊本線は大川司信号場から亀川まではまだ単線の時代である。ED7615は昭和42年10月の電化の際に新製配備されたED769~ED7626まで18輌のグループであった。 日豊本線豊後豊岡 S53(1978)/8

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 基本6+付属3=9輌編成の“ゆのか3号”が国東半島のつけ根を行く。電車急行“ゆのか”は昭和43年10月に登場、4往復(1往復は気動車で残置)が基本7連で運転された。53年頃からサハシ455が外され始め、少しさびしい編成となったが付属の3連が付くと見応えのある編成となった。中山香~大川司(信)間の複線化は52年10月、大川司(信)~杵築間は53年9月に完成し、以後大川司信号場は廃止された。 5505M 日豊本線中山香~大川司(信) S53(1978)/9/19

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 中山香~杵築間は八坂川を幾度も渡り八坂川橋梁は第1から第6まで架けられ、ここ新八坂川橋梁は第3と第4の間の深い谷に架橋されている。電化工事の際、トンネル断面の狭さから新トンネル(陣田我王)掘削で線路が付替えられて新八坂川橋梁が架けられた経緯がある。架線が張られることはなかった旧トンネルの坑門が雑草の向こうに見えていた。撮影時は電化から11年め、新上り線の工事は完了し、下り線となる旧鉄橋を上り列車が通る光景は貴重な記録となった。博多行“にちりん5号”が鉄橋の轟音を響かせて通り過ぎる。 5030M 日豊本線大川司(信)~杵築 S53(1978)/9/19

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 直流181系の交直流版485系のグループは、北陸・九州用60Hz481系、東北用50Hz483系、50・60Hz両用の万能形485系、横軽通過489系とバラエティに富んでいる。各系列の番台区分や先頭車化改造の新形式など、その分類にはついて行けなくなってしまった。赤スカートクリーム帯、赤ヒゲのクハ481はその後ヒゲはなくなっていた。スピードの出せる別府市街の高架区間を疾走する宮崎行“にちりん3号”はサシ481を連ねた10輌編成であった。 5023M 日豊本線亀川~別府 S55(1980)/9/14

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 国東半島のつけ根を横切る宇佐~杵築間は立石をサミットとする長い山越えの区間である。上り列車が杵築を出ると立石峠まで14キロ、なだらかではあるがひたすら上り勾配が続く。ED7624〔大〕が牽く長い編成がアウトカーブに現れた。 日豊本線中山香~杵築 S59(1984)/7

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 大分電化で投入された電車は421系(モハ420・421)10編成、423系(モハ422・423)30編成の160輌であった。撮影時大分~佐伯間の普通列車は客車4往復、421・423系2往復、475系1往復、気動車1往復で運用されていた。午後の佐伯往復は大分13:04発佐伯14:39着、折返し16:40発大分18:07着のダイヤであった。 2542M 日豊本線下ノ江~熊崎 S55(1980)/7/6

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 南行の貨物列車は佐志生越えを終えると、下ノ江からは平坦な道を城下町臼杵の街並みを望みながら進む。前方の山々は臼杵湾津久見湾を隔てる長目半島へ続く稜線で、線路はこの先大きく回り込んで海沿いに出て、山の切れ目を探すかのように臼津峠へと進路をとる。 日豊本線下ノ江~熊崎 S55(1980)/7/6

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 大分平野は一面水稲が色づき始めている。平坦区間豊肥本線にあって、米良川の堤防を越えるのに16.7‰の勾配があり、キハ52+キハ55+キハ55+キハユニ26+キハ55の5輌編成が弓なりになって走って来た。もうしばらくすると辺りの田んぼは黄色いじゅうたんになる。 746D 豊肥本線滝尾~下郡(信)S53(1978)/9/19

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 交換設備のない天神山では「汽車通学」の生徒たちが下り列車を待っていた。由布院発大分行は天神山16:48発。この列車は久留米発由布院行639Dで由布院15:35到着後、列車番号は2639Dとなって由布院16:23発。生徒たちは由布院を発車した頃から三々五々天神山の片面ホームに集まって来る。何気ない日常を切取っていた。 2639D 久大本線天神山 S51(1976)/9/21