2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧
国鉄車輛配置表に掲載された運転関係業務機関の中にある客貨車区の欄を見ると、北見客貨車区の支区は遠軽と網走があることがわかる。網走駅裏の山手側のヤードに「支区」という名にふさわしい小さな庫があった。そこにはC58やDE10、キハ22が佇んでいた。模型…
網走は石北本線、釧網本線、湧網線が集まるオホーツク海沿岸の鉄道の要衝で、石北本線旭川からは237.7㎞、釧網本線釧路からは169.1㎞、湧網線湧別からは97.4㎞の所に位置している。趣きのある駅舎に魅了されて撮ったスナップは駅前広場の車と人の動きがあっ…
タンク車の列に1輛だけ背が高くタンク体が太い威容を誇る車に目が止まる。「カプロラクタム」という聞いたこともない名前の物体はナイロンの原料ということらしい。車体標記の「90」は化成品分類番号で、積荷の性質を表すために標記が義務付けられている。 …
函館市電は、青函連絡船に乗船するまでの時間に夜の繁華街を散策した際に撮ったものと記憶している。3系統が集まるデルタ線が敷かれた十字街に現れたのは808号であった。方向幕は「駒場ー3-ドック前」とあり、駒場車庫前と函館ドック前を往復するものと思わ…
小倉駅東側、砂津川を渡る界隈は線路が複雑にからみあう魅惑の鉄道地帯であった。画面手前の高架線は鹿児島本線下り旅客線、奥が貨物線の複線、地平手前右の複線は日豊本線で、高架線の谷間に鹿児島本線上り線が通っている。貨物線はカーブの先で上下線が離…
宮原線撮影の帰途に湯平駅に立寄ってみた。客車は50系に置換ったもののDE10牽引列車の本数は昭和53年10月時点と同本数で運転されていた。駅はかつての面影は消え失せ、すっかり変わり果てていた。信号機が自動化される前にはなかった中継信号機や出発反応標…
父親が遺したネガに鉄道ものがないか捜索した結果、昭和39年頃に撮られた人物写真の背景に湯平駅の様子が写っているものを見つける。煤煙が付いたトンネルポータル、山を越える多数の通信線電柱、腕木式信号機、枕木で組まれた倉庫などは鉄道全盛期の構図と…
湯平駅は大分川河岸段丘の急峻な谷間のわずかなスペースに設けられた湯平温泉の玄関口で急行停車駅である。本屋寄り下りホームから広がる風景は、背後の細道脇に建つ道路案内と「警笛鳴らせ」の道路標識、構内の電柱兼用の外灯、線路沿いに這う信号連動ワイ…
「鉄道ジャーナル昭和44年9月号」は西武鉄道のE851電気機関車が表紙を飾っている。この表紙と連動して記憶しているのがD50・D60の記事で、久大本線の事を調べる際はこの表紙の本に手が伸びるくらいに当時の記憶が未だに継承されている。筑豊本線と久大本線の…