電気機関車
EF59を撮りに行った瀬野機関区では新たな補機EF61 200番台が運用に就いていた。EF60から改造されたEF61 200番台は貫通扉とデッキが付けられてイメージは大きく変わっていた。上り側の連結器回りはEF59同様の装備でEF63を見るようであった。 EF61 200番台は当…
EF59の写真をWEBアルバム「転轍器」に掲載するのにネガフォルダを捜索した際、EF61が写っているのに気づいた。瀬野機関区を訪問したのは昭和57年8月、あれから41年の歳月が流れていたことを改めて認識させられた。 EF5911〔瀬〕を撮っていた時、本線下り線を…
旧形電機の下回りは頑丈そうな台車枠が両側のデッキへ突き出し、車体下部は角度が美しい軸箱と砂箱が綺麗に並ぶ。それにブレーキシリンダにつながるレバー類やロッド類、イコライザーが複雑に絡む構造はまるで芸術作品のようだ。 東海道に君臨していたEF53は…
乗車した東行の夜行列車が深夜広島に着くと必ず行う動作があった。それは座席もしくは寝台で息をこらえて静止することである。編成後方で瀬野八越え補機を連結する振動を確認するためで、客車が少し動いたかのような衝撃が伝わる時と、まるで気づかないわず…
A個室寝台をずらりと連ねた20系“あさかぜ”に、新幹線岡山開業時の昭和47年3月、14系寝台車が仲間に加わった。3往復のうち1往復が14系に置換えられ“さくら”、“みずほ”と同じ編成になった。初めて14系ブルートレインを見た時は驚きとともにスハネフ14のディー…
せっかくのブルートレイン撮影も行き当たりばったりなので良い写真は残せていない。慌てて品川11番ホーム先端へ走って行ったのではないか。EF65509〔東〕が14系寝台車14輛を連れてフルスピードで駆け抜けて行った。 東海道本線下り電車からの車窓は新橋から…
ある日高城駅へ立ち寄ってみた。改札口から構内をのぞくと、別府発西鹿児島行“日南5号”6輛編成が交換待ちで運転停車し、向かいの側線には使命を終えたED74-6輛全機が留め置かれていた。悲しくなるような光景を目の当たりにし構内反対側へ回ってみる。 日豊本…
昭和44年は消えゆく蒸機ばかりに目が向き電機にカメラを向けることは稀であった。敦賀から6輛全機が大分に来て1年後の姿を捉えたカットは手ブレやピンボケの写真ばかりではあるが、自分としては貴重な記録となったので恥ずかしながらアルバムに貼ることとし…
午前8時台の大分駅東部貨物ヤードではD51の日豊本線下りと9600の豊肥本線上り貨物列車がたて続けに発車する。南延岡行は8:45発、熊本行は9:04発で撮影の効率はとても良かった。その貨物列車の発車を撮るつもりで構内の隅に立っていたら思わぬ電気機関車の3重…
日豊本線は小倉から九州東海岸を鹿児島まで縦断する。大分県内の線形は周防灘にせり出した国東半島と、別府湾から豊後水道につき出た佐賀関半島を横切るように描かれている。宇佐から杵築にかけて国東半島のつけ根を越えるのが立石峠、大分平野を直進し幸崎…
昭和40年代初頭、周防灘を望む海岸線でデッキ付の機関車が貨物列車を牽く光景が記憶に残っている。あの時の機関車はEF15とわかったのは鉄道趣味誌を読むようになってからである。当時の山陽本線では岡山と広島に配置され貨物列車に運用されていた。古い雑誌…
山手線の電車から見える貨物列車を撮れる場所はないか貨物線沿いを歩いていた。前から角ばった車体の機関車が迫ってきたのでカメラを構えると背後から重々しいモーター音が被さってきてファインダーに一瞬2台の機関車が映って驚く。 ひさしのような屋根が特…
EH1044〔吹二〕 太平洋ベルト地帯を行き来する旧形電機の中で少し毛色のちがうEH10に特段の魅力を感じていた。汐留のヤードにはるばる関西から貨物列車を牽いて来て小休止しているEH10の姿は魅了される構図であった。駿足のコンテナ系はEF65や66で、EH10は2…
千葉駅でたまたまあずき色の機関車と遭遇する。EF80を見たのはこれが最初で最後、まさに千載一遇の機会であった。EF80+DD51重連の貨物列車は新小岩操車場へ向かうのであろうか。EF80は常磐線電化で取手~藤代間の交直デッドセクションを通過するために作ら…
九州の電化は昭和36年の門司港~久留米間が始まりで、赤い機関車はED72とED73が登場、ED72はSG搭載の旅客用で22輛、ED73は貨物用で22輛、合計44輛でスタートした。ED73は昭和43年から44年にかけて高速列車100km/h運転に備えて1000番台に改造され、赤い車体に…
信越本線や碓氷峠のことは趣味誌や写真集、また文学作品や紀行文で数多く採りあげられているので、自分の中では良く知っているような錯覚を起こしている。実際に列車で峠を越え、横川駅前に鎮座しているED421を初めて見た時、誌上の知識だけでは味わえない臨…
大分運転所に新製配置されたED76のうち幸崎電化時の9~26とその後増備された27~28は昭和61年末頃までに廃車となっている。都城行下り“彗星”を牽くED7625〔大〕は余剰車を横目に最後の活躍をしていた。この時の“彗星”はカニ24とオハネ25・オハネフ25のシンプ…
昭和59年2月、九州内を走るブルートレインにヘッドマークが復活した。日豊本線では“富士”と“彗星”に懐かしい絵柄が掲げられるようになった。ところがその1年後、“富士”のマークがかつての展望車時代の形に変更されるとのニュースを聞き、これまで慣れ親しん…
昭和60年3月14日ダイヤ改正は、特急“富士”のヘッドマークがお椀形から山形へ変わるということでひさしぶりに大分運転所構内に入ってみた。電気機関車検修庫はかつての賑わいはなく、ひっそりとしていたのが国鉄の行く末を物語っているかのようであった。この…
函館本線は昭和43年8月に小樽~滝川、昭和44年9月に滝川~旭川間が電化され、その際ED76500番台が登場し、22輛が岩見沢第二機関区に配置された。ED76を名乗るが外観は九州の76とは全く異なり、正面は貫通扉を備えたED75の顔、側面はED76調ではあるが…
ネガフォルダに眠る写りの悪いコマの中にEF58のひと桁ナンバーがあるのに気づく。暗くてよく見えないが、せっかく撮ったので何とか日の目を見ることができないかレタッチして9番の顔だけはわかるようになった。下関運転所を訪れた時は新幹線開通前で25輛の…
昭和49年春、上京して初めて降り立った駅は華やかな山手線目黒駅であった。そこから緑色一色の3輛編成の電車に乗り、今来た山手線の線路を見下ろしながら急勾配を下り大岡山という駅で下車する。今度は同じ緑色ではあるが少し長い編成に乗り、大きな川を渡り…
昭和49年初夏、磐越西線中山宿駅に降り立つ。当時この地の知識など何もなく、只見、日中線のC11を撮った帰りに案内人に従ってこれも初めて見るED77を撮るためであった。後年趣味誌でここで奮闘したD50の雄姿を見るたびにこの駅で下車したことを思い出す…
国鉄分割民営化直前の昭和61年11月、関門間の特急仕業が門司機関区から大分運転所へ変更となり、重連総括制御のEF81400番台6輛が日豊本線を走るようになった。日豊本線のF級機関車はDF50以来で、ローズピンクのEF81は二豊路の新しい風となった。 東京…
EF81は日本海縦貫線を走るため直流、交流50Hz・60Hzの3電気方式の機関車として昭和43年に誕生している。撮影時、EF81は酒田・東新潟・富山第二・敦賀第二・内郷・田端・門司に配置されていた。ローズピンクのEF81とはこの時が初対面であった。 EF814〔富二〕…
EF15の推移を調べると、昭和50年以降、東海道、山陽筋のEF15は斜陽に向かっていたということを知る。新鶴見のEF15を国府津で見かける。パンタを降ろして側線で待機していたEF15190は気がついたら下り貨物列車の先頭に付いていた。伊東線へ入るのだろ…
ED75300番台は熊本電化の昭和40年に登場、60HzのED75としてわずか11輛の存在であった。鹿児島本線北部で高速貨物を牽いて100㎞/h走行できる強力機関車であったが惜しくも昭和61年3月に全機廃車となっている。夕刻の戸畑界隈、ED75301〔門〕が長い貨物…
北九州工業地帯は戸畑駅近くの複々線でED73の牽く石灰石列車に遭遇する。ED73はブルートレインか高速貨物のイメージがあったがこのような区間貨物の運用にも就いていた。石灰石積載のセキには「黒崎〜石原町間専用」の標記があり、この先黒崎へ向かうも…
「パノラマライナーサザンクロス」はJR発足時、昭和62年に誕生している。牽引機も12系改造の客車の塗装に合せてED76とDE10の専用機が準備された。ED7678は前パンで北上して行った。 日豊本線西大分〜大分 H4(1992)
ED76は門司機関区配置の1〜8(昭和40年製)と、大分運転所配置の9〜26(昭和42年製)の26輛が揃っていた。大分運転所のED76は電化時投入の18輛から、その後昭和44年に27・28、45年に29・30が増備されて22輛体制となり、日豊本線と鹿児島本線は熊本まで運…