転轍器

古き良き時代の鉄道情景

ブルートレイン EF65500番台

 A個室寝台をずらりと連ねた20系“あさかぜ”に、新幹線岡山開業時の昭和47年3月、14系寝台車が仲間に加わった。3往復のうち1往復が14系に置換えられ“さくら”、“みずほ”と同じ編成になった。初めて14系ブルートレインを見た時は驚きとともにスハネフ14のディーゼルエンジンがやけにうるさかったのを覚えている。 EF65510〔東〕が牽く12レ“あさかぜ3号” 東海道本線川崎~横浜 S49(1974)/10/15

 東京発九州乗入れ5番めのブルートレイン“富士”が昭和39年東京~大分間に誕生した。翌40年には西鹿児島まで延長され、43年には下関落しの付属編成が大分落しとなり堂々15両のフル編成が日豊本線に姿を現す。東海道山陽筋の牽引機はEF60500番台からEF65500番台へと移り変わり、ヘッドマークを掲げたEF65500番台は憧れの機関車となった。 EF65528〔東〕が牽く8レ“富士” 東海道本線川崎~横浜 S49(1974)/10/15

 20系ブルートレインは昭和43年10月改正の際に付属編成の行先延長が行われ、西鹿児島行“はやぶさ”の付属編成は博多回転から長崎行に変更された。“さくら”・“あかつき”で運用されていた付属編成の電源車マヤ20は“はやぶさ”用として増備される。 EF65535〔東〕が牽く西鹿児島・長崎行3レ“はやぶさ” 東海道本線品川 S49(1974)/10

 後年、大阪の“ツバメ屋模型店”に立寄った際、精巧なマヤ20の1/80モデルが展示されて見入ってしまった。マヤ20の1番か2番であったと思う。スハ32に見える外観はまるでDF50の屋根のようなラジエターファンが印象的であった。マヤ201・2は20系“みずほ”を門司で分割した大分編成の簡易電源車としてオハシ30からの改造で誕生した。模型から実車のことを教えられ、マヤ20について改めて興味を持った次第。

 山陰ブルートレイン“出雲”は、昭和47年3月改正で“”瀬戸と共に誕生した。EF65500番台は東京~京都間を、山陰本線は米子機関区のDD54が牽引して話題となった。 EF65539〔東〕が牽く2002レ“出雲” 東海道本線品川~川崎 S49(1974)/10/24

 3段寝台車の時代は窮屈でも夜行列車はこれが当たり前と思っていた。14系寝台車が登場した時は寝台の幅が少し広くなったものの同じ3段なので新しさ以外に変化は感じられなかった。画期的だったのは24系25形の2段寝台車が登場した時で、驚きとともに夜汽車の旅はこれでなくてはと実感したものだ。 EF65509〔東〕が牽く2002レ“出雲” 東海道本線品川~川崎 S51(1976)/3/22

 EF65500番台が牽く20系15輛編成は憧れの的だった。1/80の世界では小高模型に20系のラインナップがあり、ペーパーキットで揃えたい願望があった。ナハネフ22やカニ21の真鍮製前面パーツはとても魅力的に見えた。TR55台車は小高か日光か、塗料はマッハの国鉄色、機関車はつぼみ堂のEF65か、付属編成なら天賞堂のDF50かなどと空想の世界を楽しんでいた。 EF65508〔東〕が牽く10レ“あさかぜ2号” 東海道本線川崎~横浜 S49(1974)/10/15