2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧
札幌市街のスナップに退色の進んだ札幌市電のネガがあった。2番を掲げた前面1枚窓の240形が小雪の舞う夕刻のすすきのを後にする。北の都の風景は懐かしがこみあげ、“時計台を見てたむろしている大きなリュックの黒いかに族♪〜地下街はいつも都会の顔して狸小…
北海道の交流電化は函館本線小樽〜滝川間が昭和43年の開業で711系はその時に誕生した。その時点で九州では鹿児島本線門司港〜熊本間、日豊本線小倉〜幸崎間が電化開業区間で交直両用421系電車が投入されていた。当時この2タイプの電車の見方は、421系は3扉の…
3つ目のD51444と逢った。網走行1529列車が石北本線金華駅に進入しタブレットを渡そうとするところ。前照灯と副灯の2灯は通常装備で右側の後部標識灯のようにも見えるのは予備灯ということか…。堅強なスノウプラウで前面が締まって見える。鷲別機関区で函館…
D51333は手持ちの配置表によると、昭和32年函館、昭和36年函館、昭和43年岩見沢、昭和46年小樽築港、昭和48年追分と北海道内を渡り歩いた道産子罐と思われる。北海道仕様の切詰めデフレクタとデッキ上の手摺、回転式火の粉止が九州機を見なれた目には異様に…
岩見沢からC5757〔岩〕牽引の上り室蘭行オハフ6234〔札ムロ〕に乗車する。ひと駅目の万字線が分岐する志文は大きな駅であったと思われるが記憶に残っていない。次の栗沢は室蘭発岩見沢行と交換するのでホームに降りて駅風景をスナップする。セキを連ねた長…
昭和48年3月現在、筑豊本線のD60は直方22・46、若松61・69の4輛が健在であった。若松の2輛は47年10月にDD51配置の余波で直方から移ってきている。その後48年7月には直方の2輛も若松へ配置替えとなり、直方からはD60が消えてD60終焉へと向かう。 筑豊本…