転轍器

古き良き時代の鉄道情景

横浜機関区

 新鶴見機関区D51の仕事場は新鶴見操車場から高島貨物線に点在する貨物駅までであったのだろうか。横浜機関区の扇形庫は高島貨物駅ヤードの終端にあったと思われる。上路式転車台に載るD51516〔新〕の後方にとても優雅に映る扇形庫が見える。顔を出したDD13はナンバー192と読める。品川の機関車のようだ。

 転車台の支柱は「確認」の文字が読める。傘の付いた長い煙突が規則正しく並んでいる。D51516の後部標識灯は前後どちらも片側しか付いていない。

 転車台へ進むのはD51130〔新〕、機留線はD51558〔新〕が待機している。テンダの後方に見える三角屋根の塔は何だろうか。まるで路面電車の分岐部やバス転回場に建つ見張り台のようだ。

 写真:juncyan jiiji 故片岡淳一さん 横浜機関区 S45(1970)/2/14

 片岡淳一さんは闘病中、バズ・ライトイヤーに重ねて「もうダメだと思ったりまだイケると思ったり」と笑わせてくれて頑張っているものと思っていた。宣告よりも早く旅立ったことを知り、仏前に手を合わせに新幹線で東上した。

 投宿したホテルから京浜急行鶴見駅が見えた。青春時代の友と会い、半世紀に及ぶお互いの時を語りあう。国鉄鶴見駅京浜急行鶴見駅の間の三角地帯は地平の京急線国鉄引込線があったこと、「ありあけのハーバー」はここ鶴見が発祥の地ということを聞いた。

 重厚感のある鶴見線の乗場に立つ。つい若かりし頃の自分になりきって暗いホームに旧形国電が入って来るのを想像する。「鶴見線80周年までの足跡」が壁面に飾られている。貨物専用鉄道としての開業はつい九州の石炭・石灰石輸送で発足した私鉄と重ねてしまう。

 バスを待つ間、横浜市交通局を始めとした路線バスのLED行先表示を見る。「ここは知っているか」と言わんばかりに、かつての東横線小田急線、国鉄線の懐かしい駅名を掲げて次々と通り過ぎる。 横浜駅西口

 横浜の地図を見て、鶴見・保土ヶ谷磯子・上大岡も、菊名・日吉・長津田上星川二俣川等の知っている駅は皆横浜市にあることを改めて認識した。横浜市は広大だ。ミナトヨコハマ、横浜港はというと、鶴見沖から八景島辺りまでらしい。 横浜駅東口

 横浜駅9・10番線に思いを馳せる。私が知っていた横浜駅東海道横須賀線が同一の線路を使っていたので9・10番線があった所は貨物線であった。

 昭和50年の横浜駅8番線。となりに9・10番の新ホーム建設中の時であった。ここから根岸線桜木町へ行けば高島貨物駅に鎮座する瀟洒な横浜機関区扇形庫へ辿り着くはずである。中学生だった彼はバスを降りて桜木町行の電車に乗ったのだろうか。この度の五感で味わった横浜詣でを彼への鎮魂歌としたい。