転轍器

古き良き時代の鉄道情景

貨物列車

タキ3900

タキ3926 形式タキ3900 石油荷役株式会社 石炭酸専用(内部ステンレス) 東海道本線豊橋~西小坂井 S51(1976)/3/26 EH10が牽く長い貨物列車を撮影して流れる貨車群を見送っていた時、ふと見慣れないタンク車が現れたので慌ててシャッターを押したものと思われ…

ガソリン・石油類専用タンク車

タキ3241 形式タキ3000 日本石油株式會社 ガソリン専用 燃32 下松駅常備(鶴崎駅臨時常備) 大分 S55(1980)/9 タキ3000は昭和22年から1,594輛製造された30トン積ガソリン専用タンク車。タンクは台枠のまくら梁上部のタンク受台に乗り、帯金で締めつけられてい…

九州石油のタンク車

九州石油のロゴは濃い青と薄い青の間に白い羽を広げたコウノトリを配したデザインだった。国鉄時代に何度も会っていたのに写真には残せていない。何を撮りたかったのかわからないコマに、もしや九州石油のマークではないか?とおぼしきタンク車が写っている…

りんごのひとりごと

歌い出し“♪今は山中今は浜~”の「汽車」や「汽車ぽっぽ」、「線路は続くよどこまでも」の童謡は軽快なリズムで列車の走行シーンが浮かぶ楽しい歌だ。同じ童謡「りんごのひとりごと」は少し切ない曲調に感じられなくもないが、汽車好きとしては“♪箱に詰められ…

フレートライナーの見える街角

三ノ宮は雲井通の高架線脇を歩いていたら背後から頭上を機関車の音が通り過ぎて行った。モーター音が小さくなっていくと今度はコンテナ車特有の小気味よいジョイントのリズムが街なかに響きわたる。その音はいつまでも続き、まだ間に合うとカメラを取り出す…

緩急車 ワフ・セフ

模型の作例でよく見かけたのはこのタイプの黄帯を巻いた有蓋緩急車で「道外禁止」のレタリングとともに絵になる車輛であった。戦後製のワフ22000を2段リンク改造をせずに65Km/h制限とし、形式はワフ122000とされた。 ワフ122826 宗谷本線抜海~稚内 S49(1974…

車掌車 ヨ

貨物列車の編成の前後に付いていた車掌車や緩急車はとても魅力的であった。機関車メインの写真なのでそれらは写ってはいるが、どれも小さくて外形は皆同じように見えたものだ。改めて振り返ると形式ごとに様々なバリエーションがあったようで、車掌車(緩急車…

青梅線の風景 電車と貨車

友人に誘われて旧形国電余命あとわずかとなった青梅線ハイクに出かけた。出会うのはスカイブルーの103系ばかりであったが、それでも深い谷を跨ぐ雄大な鉄橋の構図は貴重な記録となった。 青梅線二俣尾~軍畑 S52(1977)/12/2 「立川」の前サボを掲げたクモハ4…

ワム80000

貨車の標記は実に楽しい。扉左の標記板は符号(ハ)・記号(ワム)・番号(184173)がレタリングされている。その下は票差しが2つあって左は貨車車票差し、右は貨車表示票差し、その間に積・空標記(積2.2空1.0)がレタリング。扉右の標記板は運用票板である。扉右側…

鹿児島本線貨物線

鹿児島本線貨物線を行くD511150〔若〕は後藤寺行の一般貨物の先頭に立っている。後藤寺までの経路は門司(操)から鹿児島本線貨物線─黒崎から筑豊本線─直方から伊田線─金田から糸田線と複雑で、牽引機は直方から9600に代わる。たまたま出会った若松のD511150は…

C57の牽く貨物列車

昭和40年代、私の中学生時代の感覚では本線と名のつく路線の機関車は、旅客はC57、貨物はD51という勝手な思い込みがあった。関西・紀勢・山陰・鹿児島・長崎・日豊の各本線がそうであった。またその形態が本線の貫禄というものであろうと思っていたが、実は…

C5692 宮崎構内入換

夜行列車で宮崎駅に降り立った時は夜明け前、向かいのホームから単機のC56が勢いよく飛び出して行った。妻線仕業に佐土原へ向かったものと思われる。明るくなって構内外れに来るともう1輛のC56が入換をしていて、この時宮崎機関区は2輛のC56が配置されていた…

コンテナ車いろいろ

深夜の駅構内照明塔の下、機関車の連結を待つコンテナ編成が中線に置かれていた。これまで見てきたコンテナ車のイメージは5トンコンテナ5個積載であったが、いつ頃からか4個積みを見るようになってコンテナの規格もサイズが大きくなったものと思われる。この…

ミム100

ミムの「ミ」は文字通り水の「ミ」で、ミム100は水を運ぶ水運車であった。D60を撮った際、湯平の側線にぽつんと1輛置かれていたのでカメラを向けていた。全景を撮ったつもりが左側は光が入って白くなってしまった。 ロミム203 形式ミム100 湯平駅常備 久大本…

準混合列車のような貨物列車 D51361

別府湾の濃霧が漂う築堤に機影を見せたのは、貨物列車に客車1輛をつないだ、まるで準混合列車のような編成であった。当時日豊本線直見~直川間ひと駅だけ、貨物列車に客車1輛をつないだ営業列車が設定されていた(4592レ)。これは回送であるがその光景を彷彿…

D51222の牽く貨物列車

臨海工業地帯の背後地、大分平野の水田地帯で本線下り貨物列車を見送る。南延岡のD51222はグレイのロングタンク車、クリーム色のホッパ車、とび色のワム以外は黒一色の貨車ばかり23輛の編成を従えていた。 1593レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/8 D51222〔延…

香椎操車場と臨港貨物線のこと

香椎操車場は鹿児島本線香椎と箱崎の間に位置する。上下線にはさまれたヤードに香椎機関区、香椎貨車区が置かれていた。箱崎寄りのヤードから福岡貨物ターミナル・博多港・福岡港・福岡市場へ続く貨物線が分岐している。ヤードの使命は終わり、余剰機関車が…

ED742+C58262

夕方の貨物列車を待っていた。ED742〔大〕が迫ってきて次位に蒸気機関車が付いているのに仰天する。ファインダーは次位機に集中。瞬時のうちにナンバーを確認すると、なんとC58262ではないか。廃車回送機関車が連結されているなど知る由もなく偶然の出会いに…

タキ14800を連結した貨物列車

ED7658の牽く貨物列車を番匠川橋梁で捉える。編成はコンテナ4個積みのコキ5500、専用種別カプロラクタムのタキ14800、カセイソーダのタキ7750、液化塩素のタキ5450にグループ分けされていた。ひときわ大きく見えるタキ14800は黒塗装と銀塗装があるようだ。 …

吹雪の高城 昭和56年3月1日

昭和56年3月1日は春を前に平野部も大雪に見舞われた。雪の経験のない生活は大混乱、前にも後にも「雪かき」で汗を流したのはこの時だけであった。非日常の景色を求めて簡易チェーンを装着し、近くの駅へ向かうと貨物列車が交換待ちをしているところであった…

北九州・筑豊で会ったホッパ車たち

北九州や筑豊の複雑な鉄道地帯では他では見ることのできない石炭や石灰石を積むさまざまな形式のホッパ車が運用されていた。もちろん蒸機を撮りに行っているので全体のわかる形式写真は残っていないが、画面の一部に写った画像からあの時代の石炭・石灰石輸…

行橋駅貨物取扱設備

行橋は2面のホームに3線の日豊本線・田川線のホームと貨物列車退避の副本線2線がレイアウトされていた。中線に向い合せのセフ2輌だけの田川線下り貨物が入って来た。行橋で見る貨物列車は田川線と苅田港を行き来する石炭専用貨か石灰石専用貨の長編成重量列…

LPガス専用タンク車

豊肥本線を行く9600やC58の牽く貨物列車は灰色の長いタンク車がよく連結されていたのを見ていた。タンク車と言えば油が積まれているものと思い込み、鶴崎の石油精製基地から熊本近郊の竜田口の油槽所に向かうものとばかり思っていた。しかし外輪山を越える貨…

幸崎の濃硫酸専用タンク車

幸崎でとりあえず撮ったタンク車の形式写真をまとめてみると、濃硫酸専用のタンク車で形式はタム400・タキ300・タキ4000・タキ5750の4形式に集約された。幸崎は佐賀関精錬所で銅の精錬の際にできる濃硫酸の積出基地で日本鉱業を始めとする私有貨車が集結して…

トラ90000

貨物列車でよく見かけたチップ積の無がい車。でも意外と写真は撮っていない。唯一のこのカットは残念ながら下回りが写っていない。偶然見かけたライトグリーンのケージにチップを満載したトラに思わずカメラを向けたものと思われる。チップは紙の原料となり…

滝尾入換一部始終

当時の列車撮影は通過時刻ぎりぎりに線路端へ行くのが常で、前もって構図を決めるなど皆無であった。一連の入換作業を記録できたのはたまたま早めに駅へ行き、また交換列車の待ち時間があったからではないかと思っている。入換を撮ろうと意識していたわけで…

タキ1900

津久見のヤードに小野田セメント所有の私有貨車が止まっていた。以前国鉄機関士の方から「海崎と津久見からつなぐセメントの貨車はとても重たかった。またチップを積んだ貨車をつないだ日に雨が降るとそのチップが何倍もの重さになってこれもつらかった」と…

79602

79602は「蒸気機関車No.55(昭和53年5月号)」の9600番号順配置表によると、昭和8年鳥栖ー昭和22年佐賀ー昭和36年宮地と記載され、一貫して九州内を回っていたようだ。宮地機関区は昭和39年の豊肥本線DC化の際に熊本機関区に統合され、79602は昭和48年の無煙…

さいはての貨物列車

宗谷本線抜海~南稚内間は夜行“利尻”に乗って必ず立寄るべき所として決められていたような、そんな撮影地であった。南稚内から数人でタクシーに同乗してこの場所に来たように記憶している。北海道プロポーションのキュウロクが荒涼とした台地を駆け下りてき…

湧網線

湧網線は湧別~網走間94.7㎞のローカル線で旅客6.5往復、貨物1往復が設定され、遠軽機関区の9600とキハ22が運用されていた。1991列車は中湧別12:10発、網走16:20着のダイヤで湧網線を約6時間かけて走っていた。夕陽さす網走西部はずれの場内信号機脇を49699…