転轍器

古き良き時代の鉄道情景

貨物列車

コンテナ車いろいろ

深夜の駅構内照明塔の下、機関車の連結を待つコンテナ編成が中線に置かれていた。これまで見てきたコンテナ車のイメージは5トンコンテナ5個積載であったが、いつ頃からか4個積みを見るようになってコンテナの規格もサイズが大きくなったものと思われる。この…

ミム100

ミムの「ミ」は文字通り水の「ミ」で、ミム100は水を運ぶ水運車であった。D60を撮った際、湯平の側線にぽつんと1輛置かれていたのでカメラを向けていた。全景を撮ったつもりが左側は光が入って白くなってしまった。 ロミム203 形式ミム100 湯平駅常備 久大本…

準混合列車のような貨物列車 D51361

別府湾の濃霧が漂う築堤に機影を見せたのは、貨物列車に客車1輛をつないだ、まるで準混合列車のような編成であった。当時日豊本線直見~直川間ひと駅だけ、貨物列車に客車1輛をつないだ営業列車が設定されていた(4592レ)。これは回送であるがその光景を彷彿…

D51222の牽く貨物列車

臨海工業地帯の背後地、大分平野の水田地帯で本線下り貨物列車を見送る。南延岡のD51222はグレイのロングタンク車、クリーム色のホッパ車、とび色のワム以外は黒一色の貨車ばかり23輛の編成を従えていた。 1593レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/8 D51222〔延…

香椎操車場と臨港貨物線のこと

香椎操車場は鹿児島本線香椎と箱崎の間に位置する。上下線にはさまれたヤードに香椎機関区、香椎貨車区が置かれていた。箱崎寄りのヤードから福岡貨物ターミナル・博多港・福岡港・福岡市場へ続く貨物線が分岐している。ヤードの使命は終わり、余剰機関車が…

ED742+C58262

夕方の貨物列車を待っていた。ED742〔大〕が迫ってきて次位に蒸気機関車が付いているのに仰天する。ファインダーは次位機に集中。瞬時のうちにナンバーを確認すると、なんとC58262ではないか。廃車回送機関車が連結されているなど知る由もなく偶然の出会いに…

タキ14800を連結した貨物列車

ED7658の牽く貨物列車を番匠川橋梁で捉える。編成はコンテナ4個積みのコキ5500、専用種別カプロラクタムのタキ14800、カセイソーダのタキ7750、液化塩素のタキ5450にグループ分けされていた。ひときわ大きく見えるタキ14800は黒塗装と銀塗装があるようだ。 …

吹雪の高城 昭和56年3月1日

昭和56年3月1日は春を前に平野部も大雪に見舞われた。雪の経験のない生活は大混乱、前にも後にも「雪かき」で汗を流したのはこの時だけであった。非日常の景色を求めて簡易チェーンを装着し、近くの駅へ向かうと貨物列車が交換待ちをしているところであった…

北九州・筑豊で会ったホッパ車たち

北九州や筑豊の複雑な鉄道地帯では他では見ることのできない石炭や石灰石を積むさまざまな形式のホッパ車が運用されていた。もちろん蒸機を撮りに行っているので全体のわかる形式写真は残っていないが、画面の一部に写った画像からあの時代の石炭・石灰石輸…

行橋駅貨物取扱設備

行橋は2面のホームに3線の日豊本線・田川線のホームと貨物列車退避の副本線2線がレイアウトされていた。中線に向い合せのセフ2輌だけの田川線下り貨物が入って来た。行橋で見る貨物列車は田川線と苅田港を行き来する石炭専用貨か石灰石専用貨の長編成重量列…

LPガス専用タンク車

豊肥本線を行く9600やC58の牽く貨物列車は灰色の長いタンク車がよく連結されていたのを見ていた。タンク車と言えば油が積まれているものと思い込み、鶴崎の石油精製基地から熊本近郊の竜田口の油槽所に向かうものとばかり思っていた。しかし外輪山を越える貨…

幸崎の濃硫酸専用タンク車

幸崎でとりあえず撮ったタンク車の形式写真をまとめてみると、濃硫酸専用のタンク車で形式はタム400・タキ300・タキ4000・タキ5750の4形式に集約された。幸崎は佐賀関精錬所で銅の精錬の際にできる濃硫酸の積出基地で日本鉱業を始めとする私有貨車が集結して…

トラ90000

貨物列車でよく見かけたチップ積の無がい車。でも意外と写真は撮っていない。唯一のこのカットは残念ながら下回りが写っていない。偶然見かけたライトグリーンのケージにチップを満載したトラに思わずカメラを向けたものと思われる。チップは紙の原料となり…

滝尾入換一部始終

当時の列車撮影は通過時刻ぎりぎりに線路端へ行くのが常で、前もって構図を決めるなど皆無であった。一連の入換作業を記録できたのはたまたま早めに駅へ行き、また交換列車の待ち時間があったからではないかと思っている。入換を撮ろうと意識していたわけで…

タキ1900

津久見のヤードに小野田セメント所有の私有貨車が止まっていた。以前国鉄機関士の方から「海崎と津久見からつなぐセメントの貨車はとても重たかった。またチップを積んだ貨車をつないだ日に雨が降るとそのチップが何倍もの重さになってこれもつらかった」と…

79602

79602は「蒸気機関車No.55(昭和53年5月号)」の9600番号順配置表によると、昭和8年鳥栖ー昭和22年佐賀ー昭和36年宮地と記載され、一貫して九州内を回っていたようだ。宮地機関区は昭和39年の豊肥本線DC化の際に熊本機関区に統合され、79602は昭和48年の無煙…

さいはての貨物列車

宗谷本線抜海~南稚内間は夜行“利尻”に乗って必ず立寄るべき所として決められていたような、そんな撮影地であった。南稚内から数人でタクシーに同乗してこの場所に来たように記憶している。北海道プロポーションのキュウロクが荒涼とした台地を駆け下りてき…

湧網線

湧網線は湧別~網走間94.7㎞のローカル線で旅客6.5往復、貨物1往復が設定され、遠軽機関区の9600とキハ22が運用されていた。1991列車は中湧別12:10発、網走16:20着のダイヤで湧網線を約6時間かけて走っていた。夕陽さす網走西部はずれの場内信号機脇を49699…

網走西部3線区間

網走西部呼人寄は3本の線路が並んでいた。手前から湧網線、石北本線、そしてC58のいる線は当時は引上線と思っていた。後にこの3本めの線は、「国鉄全駅各駅停車①北海道690駅」(小学館/昭和58年刊)に記載された線路配線図から浜網走貨物駅への出入線という…

タキ14800

タンク車の列に1輛だけ背が高くタンク体が太い威容を誇る車に目が止まる。「カプロラクタム」という聞いたこともない名前の物体はナイロンの原料ということらしい。車体標記の「90」は化成品分類番号で、積荷の性質を表すために標記が義務付けられている。 …

憧れの東行鮮魚特急

最強機関車EF66が牽く「門」の管理局標記の入ったレサ10000編成は憧れの的であった。かつて趣味誌に載ったカツミ模型店の広告は「あなたの鉄道にもフレートライナーを」のキャッチコピーでEF66と10000系冷蔵車とコンテナ車が紹介されていた。模型でしか知ら…

タキ5750

かつて無造作に撮ったタンク車で形式タキ5750の写真が2枚出てきた。車体標記の濃硫酸はどのような用途があるのか「プロフェッサー吉岡の私有貨車セミナー」(レイルマガジン連載)で確認すると、肥料・繊維・紙パルプ・食品・金属精錬等に使用されるとのこと…

鉄製有蓋車

蒸機時代、テ、テム等の名前を持つ貨車はよく見かけていた。一番よく見るワムと違って、屋根と側板に継ぎ目のない形が何とも独特な雰囲気を醸し出していた。側扉はX補強のリブ、妻面は丸屋根に縦2本のリブが表情を作って愛らしい貨車といった印象がある。バ…

タム400

タム10410 形式タム400 同和鉱業株式会社 濃硫酸専用 侵(禁水)84 南岡山駅常備 臨時常備駅幸崎 幸崎 S60(1985)/8 模型のような2軸のタンク車タム400は、タンク体の形状やドームの有無など豊富なバラエティがあるようだ。タム10410は上回りの手摺りの高さに…

タキ5450

黄色いタンク車、タキ5450は黒い貨物列車の中でとても目立つ存在で、また魅力多いタンク車であった。模型メーカーで製品化され精密モデルが発売されてはいるが、残念ながら高価格で自分の物にはできていない。黄色の塗色は毒性の強い塩素が積荷のため高圧ガ…

西大分ヤード

①駅前の広場から見た西大分駅本屋。民営化になったばかりで国鉄時代の面影が漂っている。西大分は単純な旅客駅ではなくコンテナ取扱駅なので、その構内配線に興味を奪われる。1面2線の旅客線と1面3線のコンテナ取扱設備、そして3線の留置線はコンパクトで模…

門司〜小倉間偶然の併走

数十年ぶりに門司駅に降り立った。この位置からはEF30重連回送やDD51牽引のホキ編成が眼前を通過する懐かしい光景が蘇ってくる。下り電車を待っていると関門トンネルから長いコンテナ編成が姿を現した。 門司 H30(2018)/1 多種多様なコンテナがリズミカ…

カラーフィルム

踏切を通り過ぎる貨物列車を見送っていたある日、いつもの黒い貨車の列の最後尾に色の違う車掌車が付いていたのに驚く。黒く煤けてはいたがその色は薄緑色だったのをはっきりと覚えている。花形のコンテナ特急の車掌車もローカルに格落ちしたことを実感した…

久大本線上り貨物列車

久大本線上り、西行の貨物列車の編成に木材を積んだトキ25000の姿があった。始発駅を出たばかりなのでこのトキ25000は、豊肥本線下りからか、もしくは日豊本線上りからの継走なのであろうか。久大本線東側の貨物輸送はわずかばかりであった。 D6062〔大〕の…

木材輸送

日田地域は阿蘇、九重山系から流れる大山川や玖珠川が三隈川に合流し筑後川となって有明海に注ぐ川の道があった。かつて、日田地域で産出される木材は筏に組んで筑後川を流す「筏流し」が行われていたと聞く。筑豊の石炭を鉄道開通まで遠賀川で川艜と呼ばれ…