転轍器

古き良き時代の鉄道情景

C57の牽く貨物列車

 昭和40年代、私の中学生時代の感覚では本線と名のつく路線の機関車は、旅客はC57、貨物はD51という勝手な思い込みがあった。関西・紀勢・山陰・鹿児島・長崎・日豊の各本線がそうであった。またその形態が本線の貫禄というものであろうと思っていたが、実は日豊本線D51入線範囲は宮崎までで、宮崎以南は客貨ともパシフィックC57牽引ということを「鉄道ジャーナル」誌で知る。宮崎に足が向いたのはC57貨物と青森からのC61見たさからであった。

 D51は宮崎まで来るようではあるが訪問時は南延岡以南はC57とまさかと思ったC61も貨物の先頭に立っていた。二度めの宮崎行は今回も雨であった。C5789〔宮〕は南延岡からD51貨物を引継いで来た。 569レ 宮崎 S47(1972)/8/10

 幸崎電化で大分から移動したスマートなC57196〔宮〕が都城行貨物を牽く。 1581レ 宮崎 S47(1972)/8/10

 C57196〔宮〕は4次形で唯一の門デフ装備車である。給水ポンプを避けた台形状のランボードと密閉キャブ、C59を思わせる大形テンダが特ちょうであった。門司港鳥栖・長崎・早岐・大分で活躍していた。 宮崎機関区 S47(1972)/8/10

 田野から青井岳に向かう日豊本線は別府田野川を挟んだ大築堤が続く雄大な景色が広がっている。鉄橋まで軽快に下って来た貨物列車はそこから一転黒煙を上げて上りにかかる。

 C57196〔宮〕は青井岳の峠をめざして奮闘する。 日豊本線田野~門石(信) S47(1972)/8/10