2014-01-01から1年間の記事一覧
平坦な大分平野にあって木々に囲まれたあたかも山間部のような雰囲気の、まるで分水嶺を行く構図は朝の通勤列車、豊後森発大分行623レである。平坦区間にもかかわらずD6062〔大〕は美しい化粧煙突から紫煙を上げ、ドレンをなびかせてやって来た。終着まであ…
山口線の優等列車は陰陽連絡特急の“おき”3往復と小郡〜浜田・江津間急行“つわの”2往復が設定されていた。小郡発浜田行“つわの2号”は船平山まで上り勾配を喘ぎ、山口・島根県境1055mの白井トンネルを過ぎて盆地の津和野へと下りにかかる。 501D 山口線船平…
熊本駅から通町筋にかけての熊本市電は碁盤の目のような道路の形状に沿って右に左に直角状のカーブが続く。呉服町方からのカーブにさしかかる1090形は屋根上に大きなクーラーを載せ、「冷房」の2文字を誇らしげに掲げていた。撮影時の祇園橋界隈は古い家屋と…
京阪七条駅へは京都市電6系統に乗って行ったと思われる。京阪本線は鴨川の流れに沿って川岸を通り、七条大橋を渡って来た京都市電と平面交差していた。何気なく撮ったカットも今改めて見ると、行灯式の駅名板、複雑な構造の架線柱、道路と軌道の信号機、手旗…
私の趣味活動はかつて撮った写真をアルバムに整理することである。手つかずのネガも国鉄編なら追跡が可能であるが私鉄となるとなかなかそうはいかない。富山地方鉄道は北陸本線と共に撮った記憶はあるが場所の特定に苦労した。私鉄志向の友に付いて行き、た…
物資別適合輸送とは石炭や石灰石など積荷に合せた専用貨車を仕立てて積出駅から操車場を経由せずに直送する輸送形態である。九州西側では石炭・石灰石・セメント・自動車・鮮魚等の専用列車が多く設定されていた。東九州の輸送力の小さい亜幹線では肥料・石…
列車到着のアナウンスがあわただしく鳴り響く。「まもなく5番線に西鹿児島発東京行特別急行列車“富士”が入ります。危険ですから白線の内側に下がってお待ちください。8号車から14号車は前寄りに連結します…。」を耳にして慌てて背伸びして跨線橋の窓から構…
美祢線から宇部港に運用される石灰石列車が白眉の宇部線に小郡から乗る機会があった。旧形国電全盛の宇部線にあって何と乗車したのは交直流の421系で小郡発久留米行の快速電車だった。当時の時刻表から小郡と海を渡って南福岡・久留米・熊本を往復する長距離…
山口発小郡行の気動車列車に乗車し、対向列車を捉えようと右側座席を陣取る。平凡な景色の平坦な山口線は交換駅は大歳だけで結局小郡までは対向列車は無かった。小郡構内に入って退避するDD51牽引の山口線貨物列車を見ることができた。 DD51882〔厚〕 山…
北海道は函館・札幌と旭川・釧路・網走を結ぶ気動車特急網が張り巡らされ、函館運転所と札幌運転区配備のキハ80系が大活躍していた。札幌発函館行“北斗1号”はキロとキシを含む7輛編成で、札幌発7:37ー苫小牧8:31ー登別8:59ー東室蘭9:16ー洞爺9:44ー長万…
稚内発旭川行宗谷本線上り気動車列車から対向する下り貨物列車を撮る。場所は後年貼薬の広告で有名になった比布(ぴっぷ)駅で、この当時はひらがなが無ければ読めない駅名であった。構内は3列車が交換、退避できる配線で跨線橋も備えられている。D51828〔…
山陰本線長門市4時28分発門司6時52分着841レを関門専用の新鋭EF81304〔門〕が牽引して門司駅2番ホームに滑り込んで来た。50系と旧形の混結編成で1輛めは外観からスハフ42だろうと思ったが、ネガを見て驚きのオハフ41202〔広セキ〕であった。オハ41という形…
肥後小国行227D車内より小国杉の美林を望む 豊後森〜肥後小国間を1往復乗車してみた。宮原線とはこんな景色のすばらしい所を走っていたのかと改めて思い知らされた。なぜもっと早く撮りに来なかったのか不思議でならない。麻生釣の風景はほんとにここは九州…
D51949〔延〕は一時柳ヶ浦機関区に籍を置いたことのある罐で、南延岡機関区では唯一の門デフ装備車であった。D51949〔延〕とは大分運転所で一度、本線上ではこの時が最初で最後、二度会っただけで昭和47年5月には廃車となってしまった。 593レ 日豊本線高…
ピストン輸送の石灰石・セメント列車に魅かれて日田彦山線に足を踏み入れた。石原町までは本数も多く北九州市郊外の平凡な景色の中で次から次へとやって来る列車を待っていた。石田は島式ホーム1面2線の単純な駅なのに構内入口には2本の場内信号機が建ってい…
日豊本線の急行“青島”の名は気動車急行“フェニックス”にゆずっていったんはなくなったが、昭和40年10月広島〜別府“べっぷ”と門司港〜西鹿児島“にちりん”をつないで“青島”は誕生した。中国地方中心都市の広島と南九州鹿児島を結ぶ優等列車は誇らしげなヘッド…
近郊形気動車の新鋭45系は、キハ45は直方-7・大分-2、キハ23は直方-3、キハ53は大分-2・鹿児島-2と少数ながら九州管内にも割当てられていた。伊田構内は2本の島式ホームの間に3線の貨物線、巨大な石炭積込設備とヤードが広がっていて、その光景は石炭搬出全…
行橋駅小波瀬寄り構内から田川線へ入る列車を待つ。苅田港発の田川線貨物列車は小波瀬から日豊本線を下り、行橋の中線に入る。59647〔行〕の牽く伊田行は向い合せのセフ2輛だけの編成であった。9600の外観はバラエティ豊かで煙突、デフレクタ、ランボード、…
高崎行普通電車クハ85の進行方向右側の席から軽井沢構内のあわただしい光景を見る。高崎行340Mの先頭には2輛のEF63が付いている。中線は2輛のEF63が待機し次の運用に備えている。下り線は高崎発長野行345MがEF63重連に押されて急坂を登り終え補機解放の準…
黄金色に輝く稲穂の間を9600の牽く貨物列車が行く。来年の収穫の時期も蒸気機関車の牽く貨物列車は健在だろうかと疑念を抱きつつシャッターを押す。豊肥本線貨物はC58受持ちの豊後竹田1・三重町1の2往復と9600受持ち全線通し1往復の計3往復が設定されていた…
急行“礼文”は宗谷本線旭川〜稚内間259.4㎞を4時間半で結ぶ。荒涼たる原野で9600の貨物列車を待っている時に現れたわずか2輛の急行列車であった。旭川発稚内行311Dの行程は旭川6:25発ー和寒7:02ー名寄7:41ー音威子府8:32ー幌延9:46ー豊富10:02ー稚内10:54着…
D51456〔延〕は昭和47年12月横手機関区から南延岡に転属し、以後日豊本線で活躍した。羽越本線時代はテンダに重油タンクを備えていたが転属後撤去されている。日豊本線幸崎〜南宮崎間はこの後4月25日に電化開業を迎え、前日の4月24日、D51485〔延〕+D515…
中央本線最後の未電化区間であった中津川〜塩尻間は昭和48年7月篠ノ井線とともに電化され、中央本線全線の電化が完成した。中津川機関区の重装備のD51に変わってEF64が入線し、振子電車の381系もこの時に誕生している。EF64は甲府、篠ノ井、稲沢第二機関区に…
青森駅の印象は連絡船乗場に急いでいたからか、あまり残っていない。写りの悪いスナップは客車入換風景で4つ目玉と旋回窓が精悍な面構えのDD1528〔青〕が先頭に立っていた。続く客車は「弘前行」のサボが架かっていて奥羽本線の列車と思われる。1輛めはオ…
複線の片側にしかホームがないように見える光景は唐津線と筑肥線の単線並列区間である。本牟田部は唐津線の駅で筑肥線には駅はなくて山本〜肥前久保間となる。山本から併走する両線は本牟田部の先で筑肥線が大きく回り込んで勾配をかせぎ唐津線を乗り越えて…
急行“新星” 20系の写真は上野発の東北本線客車列車の車窓からスナップしたものである。東北本線は田端操車場、尾久客車区の外側を走っていて進行左側の車窓からは留置車輛が手の届くような近さで見えた記憶がある。12系と並ぶ20系は7号車と8号車が確認できて…
D6064〔大〕の牽く大分17時54分発由布院行644レ 昭和44年当時、久大本線の列車はほとんどが客車列車で構成されていた。上り列車でみると、日田〜鳥栖3、由布院〜鳥栖1、大分〜鳥栖2、大分〜豊後森1、大分〜由布院3、豊後森〜日田1の計11本という状況であっ…
湯けむりたなびく別府の町並を背景に大分駅前行が両郡橋電停を発車する。別府市街からの複線の軌道線は両郡橋からかんたんまでの海岸線は単線に変わる。150形161号はタブレットを受け取って単線区間を進む。 大分交通別大線両郡橋 S47(1972)/4
紅葉山駅で出会った精悍ないでたちの機関車はギーゼルエジェクタ装備のD51だった。初めて見る変わった煙突に圧倒される。紅葉山は貨物ヤードを備えた大きな駅で、本屋からホームまではかなりの距離があって何本もの側線を渡って上りホームにたどり着く。そ…
DF50553〔大〕牽引の1207レ“日南2号” 大阪発宮崎行寝台急行“日南2号”が停車駅南延岡で小休止、ここでDF50重連の西鹿児島発門司港行長距離鈍行530レを待ち合せる。南延岡駅構内は煤でくすんだ跨線橋、上下線の機関車停止位置の給水塔、画面左奥に見える構…