駅の風景
■栗野 矢岳越えした肥薩線は一気に標高を下げ、鹿児島県に入ると吉松から栗野にかけて霧島連山西側の盆地を走る。全検上がりのような綺麗なC5510〔吉〕が上り貨物列車を牽いて姿を現す。 892レ 肥薩線栗野~大隅横川 撮影時、吉松機関区には5輛(10・26・27・…
朝霧たちこめる早朝の日田駅。上り3番列車鳥栖行はD6064〔大〕の牽引で、勢いあるドラフトと激しいドレンを構内に響きわたらせて分岐器を踏みしめて進む。2本の出発信号機が並ぶ信号塔に圧倒される。 624レ 日田 S44(1969)/4/1 底霧に包まれた神秘的な景色に…
3番線の貨物列車は早朝大分を発って夕方鳥栖へ辿り着く694レと思われる。駅名標後ろのトラ55336、車票は「北山田」と読め、木材もしくは硫化鉄を搬出するために北山田駅が手配した貨車なのかもしれない。D60牽引の貨物列車はここ、豊後森からは8620が牽いて…
南国では見ることが無くて憧れていた積雪の景色とオホーツク海流氷の様子を見たくて道東の地を訪れる。網走番外地から石北本線旅の始まりの僅かな時の構内風景を懐かしむ。 網走駅本屋寄りホームから石北本線上り遠軽方を見る。腕木式の出発信号機が3基構え…
DE101173〔大〕 大分発豊後竹田行748レ キハ58+キハ65+キハ58+キハ40 豊後竹田発大分行747D 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6 69695〔熊〕 熊本発大分行795レ C58224〔大〕 大分発豊後竹田行746レ 豊肥本線滝尾 S45(1970)/9/12 69699〔熊〕 熊本発大分行795…
EF5864〔関〕 EF5875〔宮〕 下関運転所 S49(1974)/5/2 EF5916〔瀬〕 EF61210〔瀬〕 瀬野機関区 S57(1982)/8/18 EF636〔横〕 左はEF6322もしくはEF6323の何れか(プレート式ナンバー機) 軽井沢 S50(1975)/6/15 EH1025〔稲二〕 157系 国府津 S51(1976)/2/7 ED76…
西の終着駅、長崎に初めて降り立ったのは中学校の修学旅行の時で、行止まりの駅と思いきや線路はさらに港の方へ延びていたのが印象的であった。18年後長崎観光の機会があり、長崎駅を訪ねてみた。駅前の高架広場はあの時と同じ、皆で整列した所からステンド…
市棚駅は2面3線で1列車退避中に2列車交換ができる配線になっていた。蒸機時代はD51貨物列車、DF50の牽く急行列車、普通列車の3列車が並ぶ光景が魅力であった。その時代に降り立つことはかなわなかったが国鉄時代末期の秋にふと立寄ってみた。ちょうど別府発…
国鉄時代末期は入換を行う貨物列車が無くなり、荷物列車も終わり、馴れ親しんできた気動車や電車の塗装が変わるなどそれまで情熱を注いできた事に興味が薄れ始めていた。それでも子守を兼ねたドライブは気になる所へ進路をとり、新しい国道バイパスからは裏…
季刊「のぼろ」 Vol.12 2016 Spring (平成28年/西日本新聞社刊) 書棚に並んだ本の背表紙に「列車で山へ」というフレーズに反応して思わず手にとってみる。その本は登山やハイカーの専門誌で、目次を見ると鉄道誌のようなタイトルが並び、中でも「駅が登山口…
豊後中村駅の改札口に掲げられた電照式の時刻表。九重山群の登山口として急行列車は全て停車する。下り4本に対して上り5本なのは“由布1号”に併結された“日田”が由布院折返しで“はんだ”となって単独運転するためである。気動車列車が3往復記載されているが、…
全列車が蒸気機関車で運転される線区は、昭和44(1969)年時点では室木線の他に美祢線大嶺支線・日中線・只見線新潟県区間の4線区だけとなっていた。少し遡ると以下の7線区があったが気動車の浸透で「全列車蒸機」はあっけなく崩れ去ってしまった。 ・万字線 …
遠賀川駅早朝の情景。行灯式の番線案内や駅名表示の白色灯と、遠く薄もやに浮かびあがる出発信号機の赤色が旅情をそそる。 鹿児島本線上下線と中線の間は古レールで組まれた味のある跨線橋が架けられていた。2番ホームは鹿児島本線下りで室木線の3番ホームと…
汽車旅は車窓に広がる景色や列車、ヤードの車輛が見えるのが楽しいものだ。東行夜行列車に乗っていると、小倉を出た辺りから車窓右側が気になり始める。小倉から門司にかけて輻湊する線路が不思議に絡み合う“配線の妙”に魅かれるからだ。通るたびに迷路の謎…
太平洋ベルト地帯を成す山口県の瀬戸内海側は山陽本線沿いに岩国・徳山・防府・宇部・小野田と工業都市が連なっている。山陽本線宇部~厚狭間は3線区間で美祢線から宇部港へ運ばれる石灰石輸送に山陽本線の複線とは別に1線が敷設されていた。この1線の道床は…
EF651000番台とはこの時が初対面であった。九州ブルートレインは専ら東京機関区の受持ちと思っていたが、撮影時は下関運転所のEF65500番台、1000番台ともに東京組と共に運用されていたようだ。EF651050〔関〕が20系“あさかぜ51号”を牽いて6番線に入って来た…
国鉄時代の向之原駅舎を撮っていたが、残念なことにフィルムをパトローネからあまり引っ張り出さずに巻き込んでしまったからか左半分は感光していた。開業は賀来と同じく大正4(1915)年10月30日であるが、現存の駅舎は国有化された後の大正12年に建てられたと…
久大本線久留米~大分間は昭和9(1934)年11月15日に全通した。大分側の大分~小野屋間はそれよりも早い大正4(1915)年10月30日に、私鉄大湯鉄道として開通している。その後大正11(1922)年12月1日に国有化され、鉄道省大湯線となった経緯がある。 国鉄時代末期…
新鶴見機関区D51の仕事場は新鶴見操車場から高島貨物線に点在する貨物駅までであったのだろうか。横浜機関区の扇形庫は高島貨物駅ヤードの終端にあったと思われる。上路式転車台に載るD51516〔新〕の後方にとても優雅に映る扇形庫が見える。顔を出したDD13は…
山本~岸嶽間4.1Kmは時刻表では唐津線の表記であったが、「岸嶽線」や「唐津線岸嶽支線」の呼称の方が分岐線なのでしっくりとくる。石炭産業の盛衰に翻弄され、蒸気動車も走った特異な線区であった。 岸嶽線の気動車を捉えた貴重な写真と出会って感激した。…
DE10牽引の客車列車を追いかけて一段落ついた際、由布院駅に立寄ってみた。2番線は久留米発由布院終着の4輛編成がひっそりとたたずんでいた。 久留米からの列車は1時間以上待機し列車番号が変わって大分行となる。列車が来ない構内はゆったりとした時間が流…
小倉駅はかつて現在の西小倉駅のところにあった。鹿児島・日豊両本線の列車が相互折返しができる配線に改められ昭和33年3月に現在地に移転した経緯がある。筑豊へ、門司港へ、日田彦山線へ、本州方面への乗換え待合せ時間で列車を撮っていたので時系列でふり…
私が汽車の写真を撮りに大分駅へ通った昭和44年頃は、第4ホーム(6・7番)から南口にかけて長い跨線橋が健在であった。本屋側ホームから第4ホームまでは地下道が整備されて、駅表側は近代的な、「裏駅」と呼ばれていた南側は蒸機時代然とした印象があった。 跨…
かつて大分駅のホームでは、手小荷物が積まれた何台もの台車をターレットのような移動機がけたたましい音で動き回り、またその台車は網をかけられ宙を舞うように吊り上げられてホーム間を渡る光景を見ることができた。跨線テルハを意識して写真を撮ったこと…
東別府は別府扇状地の南端に位置し、別府湾に面したなだらかな丘陵の背後に鶴見岳がそびえている。東別府を発車した客車列車の後追いにうっすらと雪化粧した鶴見岳が顔を見せていた。 522レ 東別府 S59(1984)/1 別府のシンボル「鶴見岳」が扇状地に広がる別…
横浜駅で大形窓のEF58が写ったネガは露出不足で振り返ることなく時は経過していた。たまたま降り立った時にEF58が見えたので思わずカメラを向けたのではないか。大形窓・庇の付いたEF5843〔宮〕が郵便・荷物車を従えて8番ホームに横付けしている。ここまでは…
偶然通りがかった駅の踏切警報機が鳴り出したので建物の脇からカメラを構えたのではないか。当たり前の日常の風景が切りとられていた。 枕木柵で仕切られた構内にあずき色の下り電車が姿を現す。線路脇はもうすっかり忘れ去られた鉄道風景が垣間見える。古枕…
蒸機の時代、冷水峠へ向かうためこの駅に降り立ってから20年以上経過していた。夜明前の乗換えであったので構内の写真は撮っていない。転車台があるうちに再訪したいと思いつつ時は流れて平成の時代になっていた。 訪問時は昭和50年代末期頃の配線と大きな変…
527列車は日豊本線下り門司港発大分行である。この列車に行橋から大分まで乗車し、途中の交換列車や車窓にカメラを向けた。列車内は人が写るので撮ることはなかったが、この時はどういうわけかオハ35の車内を1枚だけ撮っていた。乗客が少なくなったところで…
北陸本線富山駅は富山地方鉄道新富山へ行くのに立寄った時、魚津駅は富山地方鉄道本線から北陸本線に乗換える時、それぞれわずかな時間に偶然出会った列車を撮ったものである。毎度後になって思うことであるが、車輛だけにしかカメラを向けていないので駅構…