転轍器

古き良き時代の鉄道情景

駅の風景

海崎黄昏時

所用で佐伯に行った帰り道、日没時刻にもかかわらず佐伯からひとつめの海崎駅に立寄ってみた。何の変哲のない上下2線だけの普通の駅であるが、そこに立ち止まらせたのには訳があった。駅の近くの海岸沿いに要塞のような日本セメントの工場があり、かつて専用…

小樽築港

「小樽築港」と聞くとC62がいた小樽築港機関区を思い浮かべる。呉線が電化された昭和45年10月、糸崎のC62が遠路小樽築港へ回送されるルポを「鉄道ジャーナル」で読んだことが頭をよぎった。昭和50年は小樽築港区に蒸気機関車の配置はなく、特別な名前のよう…

留辺蘂

「るべしべ」ー何という名前、何という響きだろうか。聞いたこともない、どこにあるのかさえ知らなかったが、この駅に下車した理由は留辺蘂ユースホステルに泊まるためであった。夜行列車疲れで駅の印象は名前だけ強烈で後はあまり記憶に残っていない。コン…

札幌

当時の札幌市は人口約120万人の大都市で、その玄関口の札幌駅は鉄筋5階建の威容を誇っていた。駅前に出て儀礼的に撮った唯1枚のスナップは遠いあの時代の良き思い出となった。 札幌 S49(1974)/9/16 「弘済会の道内時刻表」の札幌駅案内図。国鉄バスのりばの…

天塩中川

天塩中川は旭川から約161㎞、音威子府からは4つめの駅で天塩川中流域の木材集散地に位置する。夕方の上り貨物列車と下り旅客列車の交換を撮る目的でこの駅に降り立ったと記憶している。静かな山あいの駅に貨物列車が先に到着、旅客列車はあわただしく出て行…

三角点描

三角線は歴史ある路線で、島原や天草への航路連絡として九州鉄道によって明治32年12月に開通、三角駅はその時に開業した駅である。この時期の九州線は現在名で言うと、鹿児島線は八代まで、長崎線は早岐・大村回りで浦上まで、日豊線は柳ヶ浦まで開通してい…

名古屋

新ニイ標記のキハ58、発車間際の喧噪が飛び込んできた。名古屋と新潟を結ぶ気動車10輛編成の急行“赤倉”は、463㎞を8時間26分かけて走破する昼行の長距離列車で、その経路は名古屋ー中央西線ー塩尻ー篠ノ井線ー篠ノ井ー信越本線ー新潟と壮大な道のりであった…

旅情

深夜、旭川駅の電光時計は23:38を指している。この時間で乗車できる列車は宗谷本線方面では札幌発稚内行“利尻”23:50着0:20発、石北本線方面では札幌発網走行“大雪5号”0:57着1:02発のいずれも旅情あふれる夜行列車である。「今は走る汽車にこの身をあずけて♪…

網走

網走は石北本線、釧網本線、湧網線が集まるオホーツク海沿岸の鉄道の要衝で、石北本線旭川からは237.7㎞、釧網本線釧路からは169.1㎞、湧網線湧別からは97.4㎞の所に位置している。趣きのある駅舎に魅了されて撮ったスナップは駅前広場の車と人の動きがあっ…

湯平 その後

宮原線撮影の帰途に湯平駅に立寄ってみた。客車は50系に置換ったもののDE10牽引列車の本数は昭和53年10月時点と同本数で運転されていた。駅はかつての面影は消え失せ、すっかり変わり果てていた。信号機が自動化される前にはなかった中継信号機や出発反応標…

湯平 昭和39年頃

父親が遺したネガに鉄道ものがないか捜索した結果、昭和39年頃に撮られた人物写真の背景に湯平駅の様子が写っているものを見つける。煤煙が付いたトンネルポータル、山を越える多数の通信線電柱、腕木式信号機、枕木で組まれた倉庫などは鉄道全盛期の構図と…

湯平

湯平駅は大分川河岸段丘の急峻な谷間のわずかなスペースに設けられた湯平温泉の玄関口で急行停車駅である。本屋寄り下りホームから広がる風景は、背後の細道脇に建つ道路案内と「警笛鳴らせ」の道路標識、構内の電柱兼用の外灯、線路沿いに這う信号連動ワイ…

野矢の交換

「鉄道ジャーナル昭和44年9月号」は西武鉄道のE851電気機関車が表紙を飾っている。この表紙と連動して記憶しているのがD50・D60の記事で、久大本線の事を調べる際はこの表紙の本に手が伸びるくらいに当時の記憶が未だに継承されている。筑豊本線と久大本線の…

小野屋駅の思い出

▮昭和45年 昭和45年夏、D60最後の活躍をフィルムに収めようと小野屋を訪れる。小野屋駅西側は大分川に合流する小川を渡る新連川橋梁と小野屋トンネルが見える絵になる場所であった。迎える列車は不定期の貨物列車で、来る、来ないは時の運、小雨降る中ひたす…

奈良

奈良駅で途中下車した際に撮った写真が残っている。奈良の印象は、関西都市圏でありながら地方都市のような閑散とした駅前風景が記憶に残ってはいるものの、寺院風の駅舎や奈良運転所の大規模な扇形庫は鮮明に浮かんでこない。団体行動でゆっくり構内を観察…

安治川口

少年時代、駅に停まった貨車の車票を見ていて「安治川口」と書かれた札が目に入り、そこはどの地方のどこにあるのかとても気になっていた。いつ解決したかは覚えていないがそこは桜島線の西九条からひとつめ、ということがわかりいつかこの目で見てみたいと…

東別府駅 昭和60年

日豊本線の開通年代を見ると、明治28年4月行橋(九州鉄道)、明治30年9月柳ヶ浦(豊州鉄道)、明治40年7月に国有化の後、明治42年12月宇佐、明治43年12月中山香、明治44年3月日出、明治44年7月別府、明治44年11月大分に達している。大分以南は大正12年12月大…

宇島

昭和40年代中頃、筑豊からの撮影の帰り、行橋から乗車する下り急行“ゆのか”の最初の停車駅が宇島であった。幾度かの通過で宇島構内は強烈な印象が残っている。宇島は2面3線の配線で、列車が海側3番線に入ると進行方向左側の車窓は広大な貨物ヤードを見ること…

会津若松

44年前に訪れた会津若松駅の情景は初の東北で強烈な印象が残っている。当時の記憶が時の流れに埋没する前に駅頭スナップを懐かしんでみたい。写真は跨線橋から磐越西線郡山、新津方面を望んだ景色で、モハ454の屋根上の賑やかな碍子やユニットクーラーに目が…

会津宮下

只見線は福島県は磐越西線会津若松から新潟県は上越線小出まで135㎞の路線である。只見川沿いにダムを建設する為の電源開発路線として建設され、小刻みに線路を延ばし、昭和46年に全線が開通している。会津宮下は昭和31年までは終着駅で、機関車の駐泊所が置…

夕刻の大行司

菜の花と桜の咲く夕刻の大行司はキハ66・67同士の交換が見られる。小倉発日田行キハ6614〔門カタ〕先頭の743Dが先に到着。しばらくして日田発門司港行キハ677〔門カタ〕先頭の744Dが入線。キハ66・674連同士が山間の小駅に並ぶ。8輛の大出力エンジンがアイ…

厚狭

厚狭駅は0・1・2・3番の3面4線が美祢線、5・6・7・8番の2面4線が山陽本線とホームが割付られている。D51272〔厚〕が通る4番はホーム間の中線であるが、この線が2・3番線を合せて小野田・宇部へと続く貨物別線につながっている。宇部〜厚狭間は山陽本線の複…

塩狩峠

「塩狩峠」の名前に魅かれて塩狩駅で下車する。三浦綾子の小説「塩狩峠」からか、天塩と石狩の国を分ける境の峠名に誘われたのか、若き日の私は文学的要素よりも地理的事柄に起因していたと考えられる。構内は上下線と中線で相対式のホームは位置がずれて配…

豊後森

幾度か訪れた豊後森は昭和45年、53年、59年撮影の写真が残っている。撮った写真は車輛ばかりで駅舎や駅の雰囲気が漂うカットはほぼ皆無で今となっては残念でならない。昭和45年は列車の車窓から見た印象、昭和53年は扇形庫に眠るキハ0741を見に、昭和59年は…

信号扱所

立野駅入口は熊本、大分方の2本の本線が並んで構内に入る配線で、シーサスクロスと呼ばれる両渡り線が組まれていた。その位置に建つ二階建の信号扱所が規模の大きな駅の雰囲気を漂わせていた。ポイントと信号機が多いので駅本屋とは別に施設が設けられている…

来宮

丹那トンネルの上から構内を見ていた時、突然現れた荷物列車に慌ててカメラを向けた。来宮は東海道本線上にあるがホームは伊東線にしかなく伊東線の駅であった。場当りのスナップでネガ袋から出ることのないコマであったが年月が経って改めて見ると味わいが…

山本

唐津線と筑肥線の接続する山本は、かつては唐津線は西唐津へ、筑肥線は東唐津へと進路が分かれるジャンクションで広大な構内を有していた。唐津興業鉄道時代の明治中期からの歴史ある駅は、訪れた時はすっかりさびれていた。駅前に立って脳裏をよぎるのはも…

八幡浜

アンパンマンのキャラクターがデザインされたキハ32とキハ54が佇む八幡浜駅2番ホームから伊予大洲寄りを見る。海産物と柑橘の一大産地の駅とあって構内は広く貨物中線が設けられている。国鉄時代の四国の情報は稀有であるがこの構図からつい貨物輸送全盛期に…

小月

小月は下関市の北東、周防灘が大きくくぼんだ位置で、海側から国道2号、山陽本線、山陽新幹線、中国自動車道が通る町である。山陽本線西端は列車密度も高くどの駅も2面3線以上の規模を有している。上り本線から側線が分岐し、手動の転轍転換器が見える。まる…

由布院

由布院上り方から構内を望む。蒸機時代、この位置でD60牽引の発車風景の写真をよく目にしてきた。その当時は2本の背の高い腕木式出発信号機が建っていた。時は平成時代、キハ58は新たな急行色の衣装を纏い、信号機も自動化されているが、あの蒸機時代のまま…