転轍器

古き良き時代の鉄道情景

8線を跨ぐ跨線橋があった頃 大分駅

 私が汽車の写真を撮りに大分駅へ通った昭和44年頃は、第4ホーム(6・7番)から南口にかけて長い跨線橋が健在であった。本屋側ホームから第4ホームまでは地下道が整備されて、駅表側は近代的な、「裏駅」と呼ばれていた南側は蒸機時代然とした印象があった。
 跨線橋はテルハ同様でそれ自体にカメラを向けることはなく、南側構内で撮った車輛の後方にたまたま一部が写っていた。

 駅南側起点方構内の側道は遮る物が何もないので引上線や機回線を行き来する機関車や気動車が手軽に撮れ、入場券を買わないで汽車見物ができる絶好の場所であった。 キハ282396〔分オイ〕 S44(1969)/12/31

 跨線橋は第4ホーム10番線から11番貨物着発線、12~15番留置線、16番機回線、17番引上線の計8線を跨いでいた。明り取りの位置が高くて跨線橋から写真を撮ることはできなかった。入換のC58350〔大〕が煙を噴き上げて跨線橋の下で通路が開くのを待っている。 S44(1969)/12/31

 南口改札から跨線橋の階段を昇った所で背伸びして運転所方を見る。広い構内に8620とC58が入換で動き回っている。 S45(1970)/3

 ホーム側階段の明り取りから5番ホームに到着した西鹿児島からのDF50543〔大〕を見る。煤で黒くなった屋根上のディテールや客車のベンチレーター、ホーム上屋に売店の様子などがよくわかる。 S45(1970)/3

 突然背後から現れた58689〔大〕に反応して撮った写真に跨線橋の橋脚が写っていた。レールで組まれた何とも頼りない橋脚に見える。階段部分はコンクリートのようだ。 S44(1969)/3

 客車入換の58689〔大〕の後方に長い跨線橋が写っている。8線も跨いでいるのかと実感できる構図だ。 S45(1970)/3

 C58105〔大〕が客車編成の組成を行っている。構内と側道を区切るレールの柵は高さが低い。舗装されていない道路に懐かしい顔のトラックが姿を表わす。木造の跨線橋はこの景色によく似合う。架線ビームが無ければなおさらだ。 S45(1970)/9

 跨線橋のホームへのアプローチがわかる。本屋側から延びるテルハも見える。 チキ3165 形式チキ3000 S45(1970)/9

 上り貨物を牽いて来たD511081〔延〕は転向・給水・給炭のため機回線を通って大分運転所へ入る。右に分岐する線路は日本専売公社への専用線で、機関車が入るのを見ていたら興味がわいていたかもしれないが、この先へは足を踏み入れていない。古くはまゆから生糸を作る片倉製糸大分製糸所に引かれた線路で、地元の人は「片倉線」と呼んでいたらしい。 S46(1971)/7/24

 木造の跨線橋とその向こうに見える旧来の信号所は古き良き時代の鉄道情景だ。「大分⇔豊後荻」のサボを掲げた気動車はキハ55169〔分オイ〕と読める。この頃の豊後荻行は豊後竹田で切り離されて2輛編成で運用されていたかもしれない。 S47(1972)/8

 バス窓のキハ20は熊本からやって来るキハ2053〔熊クマ〕。 S47(1972)/8

 跨線橋の側板はレールで頑丈な補強が施されている。砂利を積んだトム50000は戦前製の15トン無蓋車で、木製の車体は味のある雰囲気を漂わせている。 トム52812 形式トム50000  S47(1972)/8

 第3ホームから見た跨線橋とテルハの様子。手前を行くED7623〔大〕に焦点を合わせているので跨線橋の階段部分は残念ながらわからない。ホーム上は手小荷物を積む台車が並んでいる。中線2本はED76が通る線が7番上り着発線、奥が8番客車留置線である。 S53(1978)/8

 大分駅は昭和39年の構内拡張工事でホームは3面7線から4面10線と広がっている。図面はその当時のもので、「拡張部分」は海側へせり出して新設されたホームと、それに伴う3線の敷設である。跨線橋は旧駅の1番線(下り本線)から南口まで渡され、構内拡張時に第4ホームまで地下道(破線)が完成した時点で、その間の跨線橋は撤去されたものと思われる。昭和44年当時の跨線橋は青色部分が残っていた。
 一連の写真はそのわずかな部分が車輛の背景として写っていたものである。