転轍器

古き良き時代の鉄道情景

路面電車

文通の写真から 名古屋市電

尾張名古屋の市電は京都に次いで日本で2番目の路面電車で、東京、大阪と並んで大規模な路線網が張り巡らされていた。地下鉄工事のため昭和36年頃から一部路線の休止を皮切りに、昭和38年から49年にかけて段階的に廃止されたようだ。手札サイズの写真に刻まれ…

西鉄北方線の思い出

西鉄北方線は全線を二度乗車したことがある。今振り返れば二度とも乗車の動機は、終点にある市立北九州大学がらみということに気づく。 まず一度目は昭和48年3月、高校3年生になる春休みであった。筑豊の蒸機最終の時、田川線の変則3重連を始めとして、伊田…

京都駅近くの路面電車

風情ある街並みの塩小路通を2つ目玉、片標識灯の1820が迫って来る。 塩小路高倉 S50(1975)/3 5系統を掲げる2000形2001は切妻タイプで屋根の曲線が優雅に感じる。2箇所の出入口扉はそれぞれタイプがちがうのがおもしろい。商店の広告看板が賑やかな後方の建物…

七条通の東寄り 京都市電

東山七条は東大路通から七条通が別れる三叉路で、市電の軌道もデルタ線を形成していた。祇園方面から6系統の京都駅前行が七条通方面に進路をとって曲がって来た。智積院の山門がどっしりと構えている。 1850 東山七条 S50(1975)/3 京都駅前から東山七条へ来…

鎮西橋の電車通り 西鉄北九州本線

鎮西橋電停は併用軌道の国道3号線が県道に変わる地点で、国道3号線は関門トンネルに向かって右にそれ国道2号線と名前も変わる。電停位置に関門橋と中国自動車道への案内標識が建っていた。方向幕「門司」を掲げた615が鎮西橋で信号待ちをしている。はて、こ…

門司駅前 西鉄北九州本線

145は戦前製らしく前面は傾斜のついたいわゆる流線形のスタイルであった。以前の塗装の上回りクリーム、下回りオレンジの塗分けの時に会ってみたかった。方向幕は「幸町⇒門司」が掲出され、戸畑線で大門もしくは枝光線から中央町経由で来たものと思われる。…

手向山トンネル 西鉄北九州本線

所用で国道3号線を本州へと向かっていた。併用軌道の電車を気にかけながら、進行左側は鹿児島本線のヤードが続き、複雑な鉄道地帯のまっただ中に居るようで快適なドライブを楽しんでいた。路面電車のトンネルが珍しかったからか、車を停めてスナップしていた…

伊予鉄道松山市内線

松山市の中心部、松山市駅前のロータリーに出ると、柑橘王国愛媛を象徴するオレンジとベージュのツートンカラーの路面電車が行き交っていた。新旧さまざまなタイプがやって来ては出て行く様は見ていて飽きることはなかった。 モハ50形モハ51 昭和26年登場の…

世田谷線

東急世田谷線は三軒茶屋と下高井戸を結ぶ5.1kmの路線で全線専用軌道である。元は東急玉川線の一部で他都市と同様モータリゼーションの洗礼を受けて地下鉄化で廃止、専用軌道のルートだけ存置されて世田谷線となった経緯がある。「三軒茶屋⇔下高井戸」のサボ…

坊ちゃん列車

伊予鉄道は明治21年、四国初の鉄道として城下町松山と三津浜港の間を開業させている。昭和2年に国鉄線が松山に辿り着く39年も前のことだった。クラウス製の機関車がマッチ箱のような客車を牽く姿を夏目漱石の小説『坊ちゃん』で「マッチ箱のような汽車」と表…

広島電鉄3000形

月刊の鉄道雑誌は気に入った記事があれば購入し、その部分を読めばあとは本棚の飾りとなりよほどのことがなければ再び開くということは希である。最近になって路面電車の事を調べるのにバックナンバーを漁っていたら思わず広島電鉄の3000形に目が止まった。…

熊本市交通局 水前寺駅通

ドライブ旅行で通った熊本市内。市電の通る景色に無視できずそこここでスナップはしたものの、その後ネガに光が通ることなくデジタル時代の今日までネガ袋で眠ったままとなっていた。撮っただけでその後の整理もなされていないので撮影場所の特定に手を焼く…

熊本市交通局 辛島町・花畑町界隈

辛島町は熊本駅から北東へ約1キロ半、中心繁華街へ向かうサンロード新市街の入口に位置する。近くには市内交通と九州各地を結ぶ高速バスの一大ターミナル、熊本交通センターがある。熊本城最寄りの花畑町は以前は熊本城前と呼ばれていた。 1090形1095 辛島町…

はりまや通りで見た個性的な電車たち

高知市といの町、南国市を結ぶ路面電車はかつて土佐電気鉄道と呼ばれていた。昔日の鉄道好きはこの名称が頭に刻まれていたが、平成26(2014)年に高知県内の軌道・バス事業が統合し“とさでん交通”に再編された。電車もバスも以前の塗装から新しいカラーまで多…

さようなら別大電車

別大電車の最終日、昭和47年4月4日付の大分合同新聞朝刊見開き2ページの茶色く色あせた切り抜きを大切にしまっていた。明治40年代の単車と当時の車掌さん、現在の1100形連接車と新川車庫前での運転士、車掌さんたちの集合写真があしらわれていた。桜満開であ…

思い出の風景 大分交通別大線

私が出会った路面電車の書籍は各地で撮影された写真はもちろんであるが、巻頭のプロローグで語られた言葉に読む人それぞれの思い出や忘れえぬ情景が浮かんでくるのではないかと魅了される。「わが心の路面電車」(小林茂著/プレスアイゼンバーン/平成1年6月…

両郡橋 大分交通別大線

「〇〇橋」のような橋が付く名前の駅名や電停名を聞くと、その土地の成り立ちや地理、歴史が込められているような不思議な魅力を感じる。東京は浅草橋、水道橋、飯田橋等、大阪では淀屋橋、心斎橋、芦原橋等が浮かぶ。九州での軌道線で巡ると北九州ー鎮西橋…

田ノ浦近く 大分交通別大線

「72年間のご利用ありがとうございました」のお別れ装飾を施した150形158は田ノ浦を出て巨大な松がそびえる下、ゆるやかな左カーブを行く。かんたん~両郡橋間の単線区は白木・田ノ浦・別院前の停留所が設けられ、交換設備は仏崎離合所と別院前の2箇所であっ…

難所仏崎を行く 大分交通別大線

別府湾に沿った海岸線を通るルートは昔より海につき出た岬をいくつも回り、特に仏崎の海岸は断崖絶壁が屹立する交通の難所であった。 仏崎の岬は迫る山と海に挟まれたわずかな間隙に道路と軌道が通る。国鉄線は海岸線を避けて仏崎トンネルで難関を越える。別…

白木海岸 大分交通別大線

往年の紳士淑女に「かつて別大電車に乗ったことありますか?」とたずねると大概の人が「白木の海水浴場に行く時に乗った!」の返事が返ってくる。撮影時は海岸線の所々に松の木がまだ健在であった。 白木トンネルの上から別府湾大分方向を望む。オールドタイ…

高崎山別院前 大分交通別大線

不等辺三角形の形をした標高628mの高崎山は別府湾につき出るようにそびえている。猿で有名な高崎山自然動物園の最寄りに別大電車の別院前停留所が設けられている。昭和28年3月、猿の餌付けに成功して開園、さつまいもを求めて猿が餌場に出るようになり国内…

大分交通別大線

別大線の電車は豊州電気鉄道が九州では初めて、日本では5番目の明治33年に5月に別府(南町)~大分(堀川)間が開通し、35年4月南新地(竹町入口)まで延伸した。明治39年1月豊後電気鉄道、大正5年4月九州水力電気となった後の大正6年7月に外堀まで、8年2月…

昭和通り交差点から 大分交通別大線

昭和47年4月4日、72年間走り続けた別大電車が最後の日を迎えた。新幹線が岡山まで開通して半月、豊肥本線のC58旅客がDE10にバトンを渡して半月の時であった。私にとって別大電車はいわばバス的な存在で、興味の対象はやがて消えゆく蒸気機関車が最優先であっ…

都電王子駅前

山手貨物線を撮ったネガに都電のカットが残っていた。ネガの順番からこのカットは大塚駅のガードと思っていたが現在の地図ツールから京浜東北線王子駅のガードということがわかる。都電の知識は何もなく、荒川線のことは鉄道ピクトリアルNo443「路面電車特集…

十字街

函館市電は、青函連絡船に乗船するまでの時間に夜の繁華街を散策した際に撮ったものと記憶している。3系統が集まるデルタ線が敷かれた十字街に現れたのは808号であった。方向幕は「駒場ー3-ドック前」とあり、駒場車庫前と函館ドック前を往復するものと思わ…

北九州市戸畑区幸町

鹿児島本線戸畑駅近くの幸町は戸畑線から枝光線が両方向に分岐するデルタ線が敷設されていた。幸町から3方向に①折尾方面→筑豊直方、中央町→門司②大門→門司③戸畑の各方面行が設定されていた。製鉄所の地元とあって幸町デルタは活気に溢れ、人の波がとぎれるこ…

公会堂前

長崎市の繁華街にある公会堂前交差点は路面電車2系統の複線がT字形に交差するデルタ線が敷設されていた。その位置の横断歩道橋から夕暮れせまる長崎市街、諏訪神社方向を見る。ヘッドライトを点灯させたビューゲルの308が接近してきた。 長崎電気軌道公会堂…

鹿児島市電

鹿児島の中心街、天文館通やいづろ通は車の往来が途切れない。電車軌道の両側は自動車の大洪水といった印象が残っている。わずかな時間の市電ウオッチングで南国を後にした。この時は加治屋町から伊敷町へ、市役所前から分岐して清水町への路線も健在であっ…

通町筋

熊本市内一番の繁華街、通町筋の直角カーブで市電を見る。田崎橋行はイエロー系塗装の1350形、健軍行はグリーン系1200形が通り過ぎる。電車やバスの色、車のスタイル、建物の商業看板等、時代を感じる。 熊本市交通局市役所前〜通町筋 S55(1980)/8

すすきの

札幌市街のスナップに退色の進んだ札幌市電のネガがあった。2番を掲げた前面1枚窓の240形が小雪の舞う夕刻のすすきのを後にする。北の都の風景は懐かしがこみあげ、“時計台を見てたむろしている大きなリュックの黒いかに族♪〜地下街はいつも都会の顔して狸小…