西鉄北方線は全線を二度乗車したことがある。今振り返れば二度とも乗車の動機は、終点にある市立北九州大学がらみということに気づく。 まず一度目は昭和48年3月、高校3年生になる春休みであった。筑豊の蒸機最終の時、田川線の変則3重連を始めとして、伊田…
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