転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

“日南4号”車窓

夜行“日南”の全盛時代、昭和40年代は10系寝台と座席車を連ねた、関西と宮崎を結ぶ花形列車であった。新幹線が博多まで開通した昭和50年3月、運転区間は九州島内に改められるも、編成はスハネ16やナハ10、オハ47等で組まれ未だ全盛期の面影をとどめていた。転…

べっぷ3号

昭和44年の対関西日豊本線の夜行急行は、宮崎系統“日南”、大分系統“べっぷ”で運転されていた。“日南”は寝台1、座席2往復(内1往復は季節)、“べっぷ”は寝台2、座席1往復でいずれも季節列車の設定であった。“べっぷ”は客車2、電車1の内訳で次のように運転され…

オエ7032

転車台から延びる放射状の機留線に運用間合いのD51485〔延〕が止っている。正面からは枕木の山に邪魔されて撮れないので後方に回ってきたものと思われる。何を撮りたかったのかわからない中途半端な写真に古い客車が写っていた。「大分運転所救援車」と標記…

高千穂橋梁

神話の里、高千穂に鉄道が到達したのは昭和47年7月のことであった。それまでは延岡~日ノ影間を日ノ影線と呼ばれ、その名前を親しんでいたが、高千穂延伸を機に線名は高千穂線と改められた。新線は旅客営業だけ、5往復の気動車で運転された。この時南延岡機…

C5717

全盛期21輛もの多きを擁した大分運転所のC57は、幸崎電化後は7輛に激減、ヨンサントオのED74転入時にはわずか2輛になっていた。残った2輛は17と53で、佐伯1往復の仕業であったので昼間はどちらかが必ず扇形庫で眠っていた。昭和43年夏に初めて買った「鉄道ピ…

急行“ゆのか”

“ゆのか”は博多ー日田ー別府ー博多と九州半周する循環急行であった。日豊本線幸崎電化の1年後のヨンサントオで“ゆのか”は電車化されて運転区間は博多ー小倉ー大分に、久大本線部分は“由布”として博多ー日田ー別府に分割され、区間と愛称名が分けられた。撮影…

奈良

奈良駅で途中下車した際に撮った写真が残っている。奈良の印象は、関西都市圏でありながら地方都市のような閑散とした駅前風景が記憶に残ってはいるものの、寺院風の駅舎や奈良運転所の大規模な扇形庫は鮮明に浮かんでこない。団体行動でゆっくり構内を観察…