転轍器

古き良き時代の鉄道情景

高千穂橋梁

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 神話の里、高千穂に鉄道が到達したのは昭和47年7月のことであった。それまでは延岡~日ノ影間を日ノ影線と呼ばれ、その名前を親しんでいたが、高千穂延伸を機に線名は高千穂線と改められた。新線は旅客営業だけ、5往復の気動車で運転された。この時南延岡機関区のC12は健在で日ノ影までの貨物運用に使われていた。
  昭和47年はもうひとつの新線があり、志布志~海潟間の古江線が国分までつながって大隅半島を循環する、その名も大隅線がそれである。いずれもその後の特定地方交通線に指定されて、長年の懸案であった鉄道延伸の実現がほんのわずかな期間で廃止されるとは夢にも思わなかったが、残念でならない。
  高千穂橋梁を訪れた時は、南延岡機関区のキハ20たちはすでにかつてのツートンカラーからオレンジ一色に衣替えして晩年の姿となってはいたが、それでも高千穂線はまだ元気な時代であった。 高千穂線深角~天岩戸 S55(1980)/5/3