転轍器

古き良き時代の鉄道情景

熊本電鉄

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 熊本電鉄菊池線は熊本市街の上熊本から阿蘇外輪山の麓、菊池渓谷で有名な菊池までの路線であった。中学生時代、社会科の地図帳を見ると宮原線肥後小国と熊本電鉄菊池の間に点線が引かれ、他にも高森と日ノ影との間にもあって、それは当時の鉄道建設予定線であった。今で言う鉄道未成線で、肥後小国~菊池間は小国線と呼ばれていた。中学生の私は将来はそのような鉄道地図になるのかと夢を抱いていたが、宮原線は昭和59年11月に廃止、熊本電鉄菊池線も昭和61年2月に御代志~菊池間が廃止されて路線縮小となり、小国線はすでに「はかない夢」と消え去っていた。今改めて、もし建設されていたらどうであったろうかと考えるも、他の未成線ー高千穂線・油須原線・呼子線ーと同じ運命を辿っていたであろう。

 

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 「菊池温泉行電車のりば」の看板が掲げられた建物は藤崎宮前駅で正面に遠慮がちな駅名板が小さく見える。藤崎宮前駅は菊池線北熊本から分岐した藤崎線の駅で、温泉地へ向かうターミナルといった印象を受ける。駅名板の「驛」の字が旧字体で味があり、始発駅の雰囲気が漂う。 熊本電鉄藤崎宮前 S55(1980)/8/17

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 藤崎宮前の狭い構内は留置車輛を効率よく置ける配線になっていた。到着のモハ103がホームを離れる。

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 発着線2線と留置線2線の行止り駅はローカル私鉄風模型レイアウトのプロトタイプには格好の配線ではなかろうか。

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 手前の線から右の線に転線して後退する電車は元静岡鉄道の500系である。モハ103は留置線におさまり、パンタを降ろしてしまった。コンパクトな構内に2基の腕木式信号機がアクセントとなっている。

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 何気なく撮った駅頭風景。ホーム屋根の柱から広がる方杖、パイプ状の改札口、その壁に掛けられた切符用パンチ、駅名標、木製の窓、ベンチと灰皿、電照広告看板等、どれも古き良き時代の懐かしい景色といえる。

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 菊池線上熊本駅鹿児島本線上熊本駅の北側にひっそりと設けられていた。リベットが並ぶ味わい深いモハ121は上熊本北熊本のた短区間を往復する。貨物輸送があった頃は国鉄線との中継がここで行われていたのであろう。 熊本電鉄上熊本 S55(1980)/8/17