香椎操車場は鹿児島本線香椎と箱崎の間に位置する。上下線にはさまれたヤードに香椎機関区、香椎貨車区が置かれていた。箱崎寄りのヤードから福岡貨物ターミナル・博多港・福岡港・福岡市場へ続く貨物線が分岐している。ヤードの使命は終わり、余剰機関車がつながれた景色は痛々しかった。 香椎操車場 H1(1989)/1
鹿児島本線日豊本線架線範囲図及び信号位置図(門司鉄道管理局運転部列車課/昭和52年12月)から
画面左、香椎を過ぎて香椎線が分岐すると上下本線が離れ、下り発着線と仕分け線、検修線が、上り側は中継引上線と機待線レイアウトされている。写真のED76・75群は検修線6・7番に留め置かれていた。画面右、箱崎側は上下線の収束する辺りから臨港貨物線が分岐、機関区と上り発着線と仕分け線が見える。信号てこ扱い所は上り側に東部、下り側に西部、機関区側に中部が建っていた。昭和50年代に味わった鹿児島本線下りの車窓は、北九州工業地帯を過ぎると筑前新宮までは単調な線路風景も、香椎辺りから俄然複雑な鉄道エリアに突入し目が離せなかったのを思い出す。
この時初めてJR貨物の試験塗装機、濃淡ブルーのED76を見る。時代は確実に変わっていると実感した。 香椎操車場 H1(1989)/1
昭和53年の道路地図に臨港貨物線が描かれていた。香椎操車場から延びてきた線路は多々良川を渡って福岡貨物ターミナル、そのまま進んで博多港、御笠川を渡りさらに那珂川を越えた先に福岡港の各駅が設けられていた。線路は福岡市中央卸市場の岸壁の突端まで敷かれそこが福岡市場駅であったと思われる。 エアリアマップGP7 九州ロードアトラス(昭文社/昭和53年)福岡市街図から
昭和50年代後半、まだ福岡都市高速が開通していない市街北行の国道3号線を通っていた。すると広いヤードが道路に寄り添うように接近し、そこに並ぶ白い車体がまぶしい鮮魚特急に使われるレサ10000の列に遭遇した。往来激しい幹線道路上ゆえ停車もできず後ろ髪引かれる思いでその場を通過した。後になってあのヤードは博多港駅とわかり、そこは東京市場向け“とびうお”、大阪市場向け“ぎんりん”編成を仕立てる基地ということを知る。福岡港水揚げ鮮魚を満載したレサ10000群は香椎操車場で長崎からの編成に連結され『憧れの鮮魚特急』として東進するのであろう。
全国の市場貨物線の廃止を伝える書籍に掲載された福岡港のホキ2200の写真が気になっていた。福岡港は輸入小麦を積んだ大形貨物船が接岸できる埠頭が整備され、それに伴って鉄道でのバラ積み穀物輸送が行われている事を知った。ホキ2200は日豊本線では高鍋、鹿児島本線では上熊本で見かけ、久大本線筑後吉井では要塞のような製粉工場が気になっていた。各地で目にしたホキ2200はいずれも福岡港から香椎操車場を経由して運用されていたのかもしれない。
香椎駅常備のレサ10000とレムフ10000の編成が山陽路を行く。 山陽本線八本松~瀬野 S57(1982)/8/18
日豊本線下り貨物のタキ5450は南延岡に、ホキ2200は高鍋へ向かうものと思われる。 日豊本線鶴崎 S61(1986)/2