転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大分・下郡で出会った客車 スハフ42

 スハフ42179は昭和28(1953)年8月の落成で熊本に配置されている。その後大分に転属し旧形客車終焉まで活躍した。撮影時大分~佐伯往復の通勤列車は既に50系客車に置換えられていたので「大分⇔佐伯」のサボを掲げているものの運用離脱していたのかもしれない。 スハフ42179〔分オイ〕 大分 S55(1980)/9/23

 客車の体質改善工事が施されたクルマは妻面検査標記の脇に[T]が記されていた。スハフ42147は急行列車全盛時代、竹下や早岐で九州と本州を往来する輝かしい履歴がある。昭和44年以降は大分に転じ余生を送り、昭和58(1983)年2月廃車となった。 スハフ42147〔分オイ〕 大分 S52(1977)/9/8

 スハフ42は昭和26(1951)年から30(1955)年の製造で車掌室が出入台の外へ設けられたのが特ちょうであった。スハフ42206は長崎・早岐・熊本の履歴があり対本州の急行列車に運用されていた。白サボ「西鹿児島(都城経由)」行を掲げたTR47を履く客車は花形時代の威厳が漂う。 スハフ42206〔鹿カコ〕 大分 S56(1981)/2/15

 門司港15:35発大分19:45着の525列車に組まれたスハフ42を撮る。撮影時、日豊本線北部は門司港-大分-佐伯と門司港~宇佐・後藤寺を往復する50系客車と、門司港-大分-宮崎-西鹿児島門司港~大分を往復する旧形客車各2往復ずつが運転されていた。後者は郵便車・荷物車を連結する列車であったので旧形客車のまま残されていた。 スハフ42266〔門モコ〕 大分 S59(1984)/1/28

 号車札「13」と「日南/指定席」のサボが入ったスハフ42を撮っていた。定期列車“日南”でハザの大分落しは無いので列車番号7000番台の季節列車“日南”と思われる。東海道・山陽・九州線には縁の薄い亀山客貨車区のクルマなので急きょ応援に借出されたのかもしれない。 スハフ42114〔天カメ〕 下郡 S48(1973)/4/8

 時刻表昭和48(1973)年4月号に7205レ“日南1号”が掲載されていた。運転日は京都発4月7日までと4月27日→5月5日まで、但し4月1・6・7・29日は大分止りとある。スハフ42114の撮影日は4月8日なので、4月7日朝下郡まで回送された編成はひと晩滞泊した翌日に撮っていたことが今になってわかる。全車指定席のマークとサボの指定席も符号する。

 スハフ42の出入台が奥まっているのがわかる。ここに立ち手摺りにつかまって風を浴びながら流れる景色を味わったことがある。高砂工場検査標記の横、四角囲みに小さく3Aと記されている。

 厚みがあって重量感たっぷりの鋳鋼製TR47台車。 下郡 S51(1976)/3