転轍器

古き良き時代の鉄道情景

門司で出会った客車たち

 門司港筑豊本線経由原田行がDD51のエンジン音高らかに1番ホームから出て行った。編成は門司港客貨車区、門モコのオハフ33・スハフ42・オハ46・オハ47で組まれていた。 2747レ S52(1977)/8/8

 西鹿児島門司港行夜行“かいもん”が6番ホームに到着する。ナハネ20 1000番台は昭和53(1978)年に夜行急行用として12系客車と併結できるように改造されたグループである。 102レ ナハネ201126〔鹿カコ〕 S57(1982)/8/18

 夜行“日南”も10系寝台車と旧形客車の編成から寝台20系+座席12系に置換えられた。ナハネフ22 1000番台は“かいもん”、“日南”用に鹿児島運転所に6輛が配置されていた。 502レ ナハネフ221009〔鹿カコ〕 S57(1982)/8/18

 20系は号車・愛称・行先の3つの窓が特ちょうだ。客車3段式B寝台車は星1個が付けられていた。

 白サボ「長門市―門司」を掲げたオハフ41202〔広セキ〕はスハフ42から改造されたロングシート車であった。 S57(1982)/8/18

 山陰本線に入る長門市行は門司始発で下関までEF308〔門〕が務める。 840レ オハフ50128〔広セキ〕他 S57(1982)/8/18

 オハ46はスハ43の軽量形らしいが台車はTR47を履いている。オハフ45はその緩急車で外観はスハフ42と同じに見える。客室窓のサッシ化とトイレ窓のHゴム化改造で近代的に映る。 オハフ4525〔門モコ〕 S54(1979)/2/7

 「門司港(長与・大村線経由)」行を掲げたオハ4719〔門サキ〕は元スハ43で台車をTR47からTR23に換えてスハ43からオハへ47へ変身している。配置表を辿ると向日町→竜華→大分→長崎と移動していた。 S57(1982)/8/18

 ナハフ10はナハ10の緩急車として48輛が製作された。その約半数は長崎・都城・鹿児島に配置され、全盛期は対本州の急行列車に運用されたものと思われる。 ナハフ102003〔門サキ〕 S57(1982)/8/18

 夜行“ながさき”に連結されたスハネ1662〔門サキ〕 S57(1982)/8/18

 1位側の標記が見える。形式スハネ16/自重37.8t/55-12小倉工。換算標記は積4.0/空3.5。

 EF3010〔門〕が先頭に立つ東小倉発汐留行急行荷物列車が門司を出る。 荷36レ S54(1979)/2/7

 ワキ8761〔名ナコ〕 台車TR203 S52(1977)/8/6

 ワキ8585〔鹿カコ〕 台車TR223 S57(1982)/8/18

 オユ12は郵袋の輸送だけを行う護送便専用車。 オユ122〔門モシ〕 門郵2 S52(1977)/8/6

 オユ11 1000番台は非冷房で製造された11輛を低屋根化して冷房改造された番台である。 オユ111010〔門モシ〕 門郵2 S52(1977)/8/6

 オユ11 100番台は冷房付として製造された。 オユ11105〔南トメ〕 S54(1979)/2/7

 オユ10 1000番台は小倉工場で低屋根化冷房付に改造され、5輛全て門司客貨車区に配置されていた。 オユ101001〔門モシ〕 門郵12 S57(1982)/8/18

 スユ16 2200番台車は「東門線」と呼ばれる東京~門司間特例輸送車で2201~2204の4輛が東海道山陽本線で活躍していた。 スユ16 2200番台〔門モシ〕 門郵1 S52(1977)/8/8

 マニ442102〔門モシ〕 S57(1982)/8/18

 マニ602194〔大ヒメ〕 S54(1979)/2/7

 鋼板屋根のマニ36206〔門サキ〕 門荷3 S54(1979)/2/7

 丸屋根のマニ3682〔門モシ〕 門荷11 S57(1982)/8/18

 マニ37はパレット積荷物車として昭和42(1967)年から43(1968)年にかけて改造された。 マニ372016〔鹿カコ〕 S52(1977)/8/6