転轍器

古き良き時代の鉄道情景

東九州

鬼瀬

昭和45年夏、久大本線の蒸機列車は久留米口で6往復半、大分口で5往復が健在で大分運転所D60-8輛と豊後森機関区8620-5輛が運用されていた。10月のDL化を目前に落成したばかりのDE101000番台も運用に入ってきて、蒸機牽引列車は風前の灯となっていた。 鬼瀬は…

耶馬渓線の思い出

小学生時代の一時期を中津市で過ごしたことから、耶馬渓線を見る機会があり、また乗車する環境にあった。車社会到来少し前のことであろうか、多くの人が耶馬渓線に乗っていた。憧れの的は機関車の牽く列車で、ディーゼル機関車牽引の混合列車と朝夕の長編成…

中津の残影

他界した父親が遺したネガから中津駅で撮ったスナップを発掘する。そこには車輛を撮ったものではないが、キハ105“せせらぎ”+ハフ14の列車が写っていた。当時の耶馬渓線は気動車がトレーラーを牽く、いわゆるD+T、D+T+Dの編成が当り前に走っていた。ハフ1…

大分交通耶馬渓線の車輛たち

キハ101 やまばと 昭和8年に登場した国鉄ガソリンカーキハ40000と同形で、耶馬渓鉄道の自社発注車。キハ101からキハ104までの4輛が存在する。キハ101が“やまばと”、キハ102が“かわせみ”、キハ103が“ひよどり”、キハ104が“せきれい”と愛称が付けられている。 …

大分交通中津車輛区

鉄道全盛時代、大分県北には私鉄の大分交通4路線が健在であった。それは杵築起点の国東線(杵築~国東/30.3km)、宇佐接続の宇佐参宮線(豊後高田~宇佐八幡/8.8㎞)、豊前善光寺接続の豊州線(豊前善光寺~豊前二日市/15.5㎞)、そして中津起点の耶馬渓線(…

東別府界隈

別府市街の高架線を特急“にちりん”が行く。別府駅は昭和41年9月に高架化され、前後の線形は高架に合わせて15‰の勾配がついている。上り列車は東別府を通過すると朝見川の手前で大きく右に曲がる。 日豊本線別府~東別府 S61(1986)/6 東別府界隈を後方の山裾…

若宮踏切にて

向之原駅東側、若宮踏切で下り貨物列車を待つ。鳥栖発大分行の691レを名乗る貨物列車は豊後森から列車番号は6691レと変わり、豊後森以東は物量が少なくなるのか不定期列車となっていた。豊後森を出ると豊後中村、野矢で長時間停車し、野矢では別府行“由布1号…

鶴崎駅・住友化学専用線・九州石油専用線の記憶

日豊本線高城から鶴崎にかけての海側埋立地は、昭和39年の新産業都市の指定により石油化学、石油精製、鉄鋼の工場が立地し、大分鶴崎臨海工業地帯が形成された。九州石油専用線はその時に、住友化学は昭和14年の操業で住友化学専用線はその時代の敷設と思わ…

湯平 その後

宮原線撮影の帰途に湯平駅に立寄ってみた。客車は50系に置換ったもののDE10牽引列車の本数は昭和53年10月時点と同本数で運転されていた。駅はかつての面影は消え失せ、すっかり変わり果てていた。信号機が自動化される前にはなかった中継信号機や出発反応標…

湯平 昭和39年頃

父親が遺したネガに鉄道ものがないか捜索した結果、昭和39年頃に撮られた人物写真の背景に湯平駅の様子が写っているものを見つける。煤煙が付いたトンネルポータル、山を越える多数の通信線電柱、腕木式信号機、枕木で組まれた倉庫などは鉄道全盛期の構図と…

湯平

湯平駅は大分川河岸段丘の急峻な谷間のわずかなスペースに設けられた湯平温泉の玄関口で急行停車駅である。本屋寄り下りホームから広がる風景は、背後の細道脇に建つ道路案内と「警笛鳴らせ」の道路標識、構内の電柱兼用の外灯、線路沿いに這う信号連動ワイ…

野矢の交換

「鉄道ジャーナル昭和44年9月号」は西武鉄道のE851電気機関車が表紙を飾っている。この表紙と連動して記憶しているのがD50・D60の記事で、久大本線の事を調べる際はこの表紙の本に手が伸びるくらいに当時の記憶が未だに継承されている。筑豊本線と久大本線の…

小野屋駅の思い出

▮昭和45年 昭和45年夏、D60最後の活躍をフィルムに収めようと小野屋を訪れる。小野屋駅西側は大分川に合流する小川を渡る新連川橋梁と小野屋トンネルが見える絵になる場所であった。迎える列車は不定期の貨物列車で、来る、来ないは時の運、小雨降る中ひたす…

南延岡行1531レ

大分運転所の客車留置は昭和42年に開設された大分電車区が使われていて、日豊・豊肥・久大各本線の客車編成の回送が大分~下郡(信)間で数多く設定されていた。牽引機はED76・ED74・D51・C58・8620等を実見している。蒸機の場合、豊肥本線上り向きが正位で…

遠い日の大分平野

山がちな中九州で大分川と大野川が別府湾に注ぐ大分平野はそう広くはない平地である。そんな大分平野を見渡せる場所が滝尾駅からほど近い中学校の裏山にあった。早朝、豊肥本線下り一番列車を見るためにその裏山に登ってみた。南西方向を見ると大小の山が迫…

東別府駅 昭和60年

日豊本線の開通年代を見ると、明治28年4月行橋(九州鉄道)、明治30年9月柳ヶ浦(豊州鉄道)、明治40年7月に国有化の後、明治42年12月宇佐、明治43年12月中山香、明治44年3月日出、明治44年7月別府、明治44年11月大分に達している。大分以南は大正12年12月大…

久大本線時刻表 昭和31年11月号から

■快速気動車(黄色) 昭和28年3月、九州で初めて気動車による快速運転が行われたと「九州の鉄道100年記念誌鉄輪の轟き」(JR九州/平成元年10月刊)に、キハ44100+キハ44200+キハ44100の3輛編成の写真とともに記載されている。門司港~久留米間を往復したよ…

懐かしい駅構内風景

友人の見送りで地下道から大分駅第3ホーム(日豊本線上り)へ上がって来た。何気なく撮った構内風景は当時は当り前の日常で何の感慨もなかった。今改めて見て国鉄時代の懐かしい情景が写っているのに気づく。ED7623は緩急車から離れている。2本の中線は留…

大分港駅の記憶

大分港駅の開業年月は「貨物駅・信号場変遷一覧」(国鉄全線各駅停車⑩九州720駅/小学館/昭和58年刊)によると昭和30年12月1日と記載されている。ちなみに日豊本線の貨物支線は苅田港と細島があった。西大分からの臨港線の存在は知ってはいたが、列車が通るの…

日豊本線大分川橋梁

鉄道写真を撮り始めた昭和44年当時、日豊本線大分以南はC57・C58・8620・9600・D51が走り、それらを撮りに大分川付近へは足繁く通った場所である。大分川に架かる大分川橋梁は煉瓦の橋脚とプレートガーダーの蒸機列車の似合う趣きのある鉄橋であったが、…

大淀川

パシフィックとハドソンが生息する南国宮崎へ赴く。当時の趣味誌の影響で“宮崎へ行ったら大淀川とフェニックスは欠かせないポイント”として大淀川河畔へ引き寄せられたような気がする。 昭和47年初頭、大淀川橋梁に架線柱はまだ建っていない。曇り空の下、南…

新大分川橋梁

大分川下流側に3本めとなる新大分川橋梁が完成し、列車はこれまでの速度制限から開放されて轟音を轟かせて渡る。新鉄橋は下路式のプレートガーダーなので車輛の下回りは見えなくなり、迫力に欠けるのは残念であった。日に一度だけ見られるC57牽引の列車を待…

一級河川大分川

大分川は湯布院盆地から下流域へ東向きに流れ、大分平野から別府湾へ注ぐ一級河川である。河口から約4kmの位置に日豊本線と豊肥本線2本の橋梁が架橋されている。20系“富士”の行く日豊本線の大分川橋梁は大正3年の建設で老朽化が進み、架け替え工事が急がれて…

旧大分川橋梁

日豊本線の開通年代は小倉〜大分間は明治44年までに、大分以南宮崎、吉松までは大正12年に開通している。大分〜幸崎間は大正3年4月の開通で、大分川橋梁はその時の架橋であり、撮影時の昭和44年で経年約56年となり架け替えの時期を迎えていた。列車は制限速…

日豊本線上り2560レ

タンク車がたくさん連結された2560レはD51とDF50どちらもが入るスジで、午後2時半頃、大分電車区脇を通過する。昭和47年の「最新SLダイヤ情報」(弘済出版社刊)に掲載されたダイヤで2560レのスジを辿ってみた。宮崎〜大分間で停車時間の長い駅は高鍋・…

古レール柵─宮原線

昭和50年代年末期の宝泉寺駅の様子。気動車がキハ53であったら昭和40年代の景色と言っても過言ではない懐かしい鉄道風景と思える。ここも古レールと古枕木を使った柵が設けられていた。昭和40年代半ばまで貨物扱いがあって、その貨物側線跡の残る構内は上下2…

古レール柵─日豊本線

津久見駅での入換風景。駅構内と道路との境は古レールを組んだ柵で仕切られていた。未電化時代の構内は架線ビームが無いのでとても広く感じる。駅は島式ホーム1本の配線であるが貨物設備が広く、東側に貨物ホーム、南側に貨物側線が並び、臼杵方のトンネルの…

古枕木柵─久大本線

小野屋駅で撮ったDE10の入換風景。下り本線から貨車を牽き出して駅本屋前に続く側線に押し込むところ。手前の古枕木柵が高くて機関車の下回りが見えない。この時は機関車が期待していたD60ではなかったため落胆しこの1枚しか撮っていない。カメラを構えた…

古枕木柵─豊肥本線

昭和40年代の線路際は道路や民家を隔てるのに古枕木を組合せた柵をあちらこちらで見ることができた。これに鉄道通信線電柱が加わると古き良き鉄道情景が盛り上がる。カメラを構えた下郡第一踏切はR400の左曲線上に設けられている。加速のついたC58124〔大…

懐かしい気動車色

豊肥本線の気動車編成は2台エンジン車で組まれることが多く、この豊後竹田行738Dもキハ55+キハ53+キハ55+キハ52の強力編成であった。 豊肥本線滝尾〜下郡(信) S45(1970)/9