転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊州路の汽車電車

 

 蒸機時代、豊後森から日田へ向かう夕方の区間列車があった。趣味誌で見たその列車はD60+8620+客車2輛+貨車のまるでメルヘンの世界のような光景で印象に残っている。そのスジはディーゼル化されることなく50系客車でこの時も連綿と続いているようであった。 久大本線豊後森 S59(1984)/9/27

 昭和60年代になると宅地化の進んだ沿線とは裏腹に普通列車の編成は短くなってきた。キハ58+キハ28+キハ40の3輛編成が行く。 久大本線南大分~大分 S60(1985)/4

 蒸機時代にキハ17を先頭にした大分~佐伯間を往復する気動車列車が1往復走っていた。南宮崎電化後もそれは残り、電車やED76牽引の客車列車と共存していた。上り列車の交換待ちをする佐伯行2539Dは6輛編成で、前から5輛めは背が低いので1輛だけ健在のキハ1747〔分オイ〕と思われる。側線は編成から外されたビュッフェ車サハシ455が留置されている。 日豊本線大在 S53(1978)/7/14

 夜の帳がおりた大在では特急列車通過待ちで下り貨物列車が3番線で退避する。ED7678〔大〕のブロア音が鳴り響いていた。 日豊本線大在 S54(1979)/6

 大野川に注ぐ冬田川を渡る段丘は勾配標が示す通り前後25‰勾配のV字谷になっている。きれいな顔のキハ55138〔熊クマ〕先頭の熊本行が通りがかる。 豊肥本線竹中~中判田 S53(1978)/11

 豊肥本線下りは外輪山を越えると波野から牧口にかけて一気に下り坂となる。国道と並走した線路は平井川の谷を離れて緒方盆地へと下って行く。“火の山5号”は上り寄りにキハ40を連結していた。 2746D 豊肥本線朝地~緒方 S59(1984)/1/12

 厳寒の朝、霜で白くなった道床を踏みしめて木々の間から漏れる朝日を受けてキハ40が行く。 宮原線宝泉寺~麻生釣 S59(1984)/11/28

 久大本線上りは天神山から南由布にかけて25‰の連続上り勾配が続く。大分川の河岸段丘は湯平から急に深い谷へと変わり、大分川を右へ左へ渡りながら由布院盆地へと這いあがる。鳥栖行636レを牽くDE101039〔大〕がエンジンを唸らせてやって来た。 久大本線由布院~南由布 S53(1978)/11/29

 早朝の由布院構内をのぞく。由布院駐泊の列車は蒸機時代とほぼ変わらず、下り鳥栖由布院止まりの気動車列車(1)、上り大分発由布院止まりの客車(2)と気動車列車(3)の3本であった。翌朝(1)は下り大分行1番、(2)は上り鳥栖行、(3)は下り大分行3番で折返す。 久大本線由布院 S53(1978)/11

 玖珠川の土手から豊後森駅を望む。駅裏手の田んぼは藁小積みが並び晩秋の様相を呈している。構内では宮原線仕業のキハ40と久大本線のDE10と50系客車が佇んでいた。 S59(1984)/11/1