貨物列車の編成の前後に付いていた車掌車や緩急車はとても魅力的であった。機関車メインの写真なのでそれらは写ってはいるが、どれも小さくて外形は皆同じように見えたものだ。改めて振り返ると形式ごとに様々なバリエーションがあったようで、車掌車(緩急車は別)の形式写真はかろうじてヨ3500・ヨ5000・ヨ6000の3形式を撮っていた。
希少な車掌車を撮っていた。1段リンク車として登場したヨ3500は2段リンクへ改造されてヨ5000となり、わずかに信越本線用として残っていたようだ。運用票板は「信越線専用車高崎操ー直江津間」と記されている。碓氷峠を越える専用車としてステップの柱は白く塗られている。 ヨ4088 形式ヨ3500 信越線高崎操ー直江津間専用車 長シノ 寄居 S52(1977)/5
ヨ5000はリベットのある重々しい車体と4個の窓の囲み枠、キャンバス張りの屋根が独特に映る。床下も蓄電池箱や器具箱、発電機が並んで賑やかだ。車体裾は補修の跡か補強板のような物が貼られている。このタイプは窓位置の高さの上下、窓間隔の広狭などバラエティがあるようだ。コンテナ特急仕様の淡緑色に塗られたのもヨ5000で、都落ちで地方ローカルで使われる姿も絵になった。 ヨ13618 形式ヨ5000 熊クマ 大分 S56(1981)/2
ヨ5003はナンバーからヨ3500からの編入車ではないヨ5000の新製車と思われる。妻面2箇所の白帯は石油ストーブ搭載車、手摺りとステップの白塗装はハンドブレーキ装備側を示しているということがわかった。 ヨ5003 形式ヨ5000 天リウ 三角 S59(1984)/1/12
北九州の石炭・石灰石列車用に積込設備のホッパーにそのまま入れるように屋根の高さを低く改造されたのがヨ5000 800番台車である。ベンチレーターの無い独特なスタイルをしている。 ヨ5816 形式ヨ5000 金田駅常備 門モシ 苅田港 S60(1985)/8/17
製造初年昭和37年のヨ6000はヨ5000を小型軽量化したもので、車体長は窓1個分短くなり自重も軽くなって換算は0.8と標記されている。 ヨ6360 形式ヨ6000 大スイ 鶴崎 S56(1981)/3/15
運用番「急」と記された運用の行路に目が行く。笹島・稲沢・小郡・鳥栖・熊本・鹿児島の駅名が読め、急行貨物列車で中京圏と九州を往復していたのだろうと想像する。 ヨ6215 形式ヨ6000 名イナ 苅田港 S60(1985)/8/17
ヤード集結輸送の廃止で廃車予定の貨車が各地から留置のため苅田港へ送られていた。その中のヨ13918(形式ヨ5000)に気になる運用表が付いていた。「急147A、百済、運用区間及指定列車」の書体が何とも“国鉄”の香りを漂わせている。百済から氷見線能町までの経由地とルート、そしてどのような積荷の貨車とともに旅をしたのか、想像を膨らませる。