後藤寺に向かうべく小倉から日田彦山線下り日田行気動車列車に乗っていた。金辺トンネルを出ると下り勾配となり、採銅所を過ぎると右手に白い山肌が威容を誇る香春岳が見えてくる。石灰石の街に来たことを実感する。香春構内に入ると上り貨物列車が見えたのでキハの窓から身を乗り出す。後方の3本煙突は日本セメント香春工場で駅からの専用線もちらりと写っていた。 日田彦山線香春 S48(1973)/3/30
D51175〔門〕+D5145〔門〕重連の貨物列車が待機していた。
この貨物列車は香春発外浜行1892レのようだ。日本セメントのホキ3500が見える。ホキ3500が連なる専用貨物はどれも5000番台の列車番号であったがこの列車は普通貨物の1000番台を名乗っていた。
香春はセメント製品発送駅でホキ3500やタキ1900が北九州工業地帯へ送られている。そんなに広い構内ではないが中線の出発信号機、構内照明塔が設置されていることから発着列車の多さがわかる。2台の機関車は出発信号機の腕木が下がる時を今か今かと待っている。 日田英彦山線香春 S48(1973)/3/30
昭和43年の国鉄番付の貨物発着トン数ベスト10(九州管内)は以下の通りであった。
(1)苅田港 8,116トン
(2)石原町 7,708トン
(3)黒 崎 7,266トン
(4)外 浜 6,142トン
(5)船 尾 5,794トン
(6)上戸畑 5,262トン
(7)西八幡 4,400トン
(8)東小倉 4,206トン
(9)香 春 3,682トン
(10)戸 畑 2,842トン
出典:「駅ところどころ 九州の鉄道80年史から」(毎日新聞社/昭和44年11月刊)
五木寛之の「青春の門」で『異様な山』と表現された香春岳を望む。香春岳を見たのが先か、「青春の門」を読んだのが先かは覚えていないが印象的な山容は記憶に刻まれている。香春駅は小倉鉄道時代は上香春駅と呼ばれ、田川線の香春駅が勾金駅に改称された際、上香春駅は香春駅を名乗ることとなったようだ。何れの駅からも香春岳は手にとるように見えたものだ。