転轍器

古き良き時代の鉄道情景

勾金界隈

 国鉄難読駅の筆頭のような勾金(まがりかね)駅へは油須原駅から駅間距離約7㌔を歩いてやって来た。情報の少なかったあの時代、B6版の「季刊蒸気機関車'69増刊 鉄道写真撮影読本」(キネマ旬報社/昭和44年7月刊/580円)に拠るところが大きかったと思われる。石炭、石灰石列車、石炭積出駅の様子、香春岳等何もかも新鮮な構図として刻まれている。

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 後藤寺機関区の19696は継足しの長い化粧煙突が自慢でデフの無い面構えが重厚な雰囲気を漂わせている。勾金は幹線の駅のように中線があって貨物側線を多く持ち、さらに石炭積込設備もある中核駅のような貫禄がある。長い石炭列車のため構内の有効長は立派に確保されている。後方の駅名標は仮名、漢字、ローマ字と均等の三段標記方式である。 田川線勾金 S46(1971)/4/3

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 改札口上の時刻表を見る。上下12本の列車は客車と気動車は半分ずつで客車は行橋機関区のC11が牽引していた。上りはほとんどが行橋行で門司港、下関まで足を伸ばす列車もあった。下りは伊田止まりの他に伊田線直通直方行と日田彦山線を下って後藤寺、添田行が設定されていた。行橋、伊田での接続列車の待ち時間が細やかに記載されている。

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 伊田発行橋行キハ45+キハ17+キハ10の3輌編成が発車。頼りない電灯が付けられた構内の電柱が時代を感じる。手前は構内を仕切る枕木柵が見える。 430D 田川線勾金 S46(1971)/4/3

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 苅田港行の石炭、石灰石列車はとても長いので補機まで画面に入る場所を探していた時にやって来た驚きのミニ編成。後藤寺発苅田港行は行橋機関区の19626が牽いて上り勾配をすごい速さで行ってしまった。2輌のセラは石炭満載であった。 458レ 田川線内田(信)~勾金 S46(1971)/4/3

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 19626〔行〕とは黒光りする全検出場時に会っていた。先の広がりが大きいパイプ煙突はキュウロクにはアンバランスに感じる。 行橋機関区 S45(1970)/8/3

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 駅から長い編成が収まる場所まで歩こうとしていた。背後から汽笛が聞こえる。思わず振り向くと足元のレールには車輪の振動が伝りまるで怪物が早足で迫って来るような切迫感を味わう。犬走りの脇に寄って遠慮がちに構えた構図は焦って手ブレとなる。 460レ 田川線内田(信)~勾金 S46(1971)/4/3

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 身をかがめて貨車の通過を見送る。セフの後にはもう1輌のキュウロクがパワー全開で巨体を震わせながら後押ししていた。

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 勾金を出た苅田港行重量貨物列車は油須原越えに挑む。もう上り勾配にかかっている。本務機は行橋機関区の69615、補機は後藤寺機関区の19696。 460レ 田川線内田(信)~勾金 S46(1971)/4/3

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 460レの後部補機を油須原まで努めて単機で勾金に戻ってきた19696〔後〕。テンダのナンバープレートはローマン書体の形式入が付いていた。炭庫の石炭の山が若干少なくなったような気がする。 単461レ 田川線勾金 S46(1971)/4/3

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 石炭積込場の高い位置から構内行橋寄りを見る。当時、駅付近にはいくつかの炭鉱が操業中で、石炭はダンプカー等で運ばれここから石炭車に積み込んでいたものと思われる。

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 構内伊田寄りを見る。構内配線は石炭車の右から下り本線、中線、上り本線、間隔が開いて副本線、留置線2線、一番奥のバラストの色がちがう線が夏吉貨物駅へ向かう短絡線である。19696〔後〕は下り列車が到着するので中線に逃げている。

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 2線の留置線は石炭車の列で埋まっている。正面は筑豊の象徴、香春岳が見える。セメント工場の煙突もよくわかる。近くには日田彦山線香春駅があり、勾金駅からそこまでは夏吉貨物線を通って線路はつながっている。日田彦山線から分岐した添田線は勾金駅伊田寄りで田川線と立体交差していた。

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 下り列車の牽引機39639〔行〕が転線して19696〔後〕に連結する。19696〔後〕は勾金からは後続の貨物列車で後藤寺へ帰る。

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 背中合せの機関車は石炭車返空編成に連結されて勾金を発車する。 39639〔行〕+19696〔後〕 465レ 田川線勾金~伊田 S46(1971)/4/3

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 セラ・セムばかりの石炭車にぽつんと1輌テム300が付いていた。勾金駅上り場内信号機付近にて。

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 勾金は石炭積出駅として隆盛を極めていた。過去の賑わいは過ぎ去ってしまったとはいえ、石炭車の列が並ぶ様子は全盛期の構図を垣間見たような錯覚を覚える。 勾金終点方

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 19688〔行〕の牽く伊田行石炭車返空列車。上り場内信号機は2基建ち、上り列車は本線と副本線へ入れるようになっている。 459レ 田川線勾金~伊田 S46(1971)/4/3

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 振り向いて伊田行石炭車返空編成を見送る。機関車の先は添田線と田川線が立体交差する箇所で、築堤上が添田線で田川線は鉄橋をアンダークロスしている。田川線は豊州鉄道として明治28年8月に、添田線は小倉鉄道として大正4年4月に開業している。筑豊炭田の路線形成の歴史と変遷は複雑多岐におよぶ。 田川線勾金~伊田 S46(1971)/4/3

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 香春・勾金・伊田界隈の路線図はミステリートライアングルの形容がふさわしい複雑な鉄道地帯である。香春と伊田の短絡線ができて図のような線形となり、その後の線路名称の整理で城野ー香春ー伊田ー後藤寺ー添田ー夜明が日田彦山線、香春ー大任ー添田添田線、行橋ー伊田田川線となった。勾金~伊田間は日田彦山線と共用区間があったが彦山川に橋梁が増設され単独線となっている。夏吉貨物駅は豊州鉄道が行橋から伊田、後藤寺、豊前川崎まで開通させた明治32年に勾金起点2.3Kmの位置に開業している。

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 後年、香春付近で国道の下を潜る線路を発見。かつて気になっていた夏吉貨物線と直感し近づいてみる。ちょうどDE10がセメントタンカーを牽いて来るところに遭遇、後方はヤードが見えここが夏吉貨物駅後であろうと推測する。9600が船尾からの石灰石を後藤寺、伊田、勾金を通って苅田港へ運んでいた石灰石輸送は、その後輸送形態と経路が大きく変わり、香春からセメント積載のタキ1900が夏吉、勾金経由で苅田港へ向かうようになった。 DE101208〔直〕 夏吉付近 S60(1985)8/17