新宿ー小淵沢ー清里ー小諸ー高崎ー上野のひと筆書きハイキングの帰路、初めて碓氷峠を通り国鉄最急勾配の66.7‰を経験する。80系電車の先頭にEF63重連が付きそろりそろりと坂を下る。車窓からこれが鉄道の坂なのかと驚嘆の思いで線路を見ていた。降り立った横川駅ホームは信越本線名物「峠の釜めし」を買い求める旅行者であふれる光景が広がっていた。ここに来た証しとして手に入れた釜めしの釜は大切にとっていたがいつしか行方不明になるも掛け紙は45年後も残っていた。
長野発高崎行80系6輌編成は軽井沢から先頭にEF63重連を付けて碓氷峠を下り、麓の横川へ到着する。クハ85は中間車からの改造で新性能電車風の顔が独特であった。種車のサハ87やサロ85等で側面の窓配置は複数のグループがあるようだ。松本運転所の80系は信越本線・篠ノ井線・中央本線で運用されていたが、昭和53年3月までに115系1000番台に置換えられて姿を消している。 340M クハ85101〔長モト〕 信越本線横川 S50(1975)/6/15
EF63のエンドは横川寄りと軽井沢寄りで全く異なる装備の特異な機関車である。様々な車種と連結するため複雑なジャンパ連結器が並ぶ軽井沢側エンドは、圧倒される面構えであった。 EF6317〔横〕 信越本線横川 S50(1975)/6/15
上野発長野行“あさま4号”が3番線に入って来た。横川~軽井沢間の峠越えは編成輌数の制限があって181系は8輌編成で運転されていた。EF63と強調運転ができる189系と489系は12輌編成が可能となり181系はその後置換えられていった。 5027M 信越本線横川 S50(1975)/6/15
EF6316〔横〕+EF6320〔横〕重連が8輌編成の後部について峠越えに向かう。181系の上野寄りの先頭車はEF63と連結するため自動連結器装備のクハ180が組まれていた。駅を出てすぐ上り勾配になっているのがわかる。
間髪を入れず山から“白山2号”を従えたEF63重連が下りて来た。構内後方に横川機関区に待機するEF63の塊が見える。 EF636〔横〕他 信越本線横川 S50(1975)/6/15
特急“白山”は上野と金沢を結ぶ列車で北陸本線に入るので交直両用横軽協調オールマイティの489系が運用されていた。前方ではEF63重連の開放作業が行われているであろう。 3006M“白山2号” 信越本線横川 S50(1975)/6/15
信越本線のEF62は高崎第二・篠ノ井区に配置され上野・高崎~直江津・長岡間で運用されていた。車軸配置は独特のC-C、いわゆる3軸台車で新形直流電機では唯一ということを知る。前面スタイルやサイドのフィルター等、東海道山陽筋の機関車とは一線を画す風格で新鮮に映ったものだ。 EF6225〔高二〕 信越本線横川 S50(1975)/6/15
EF6238〔高二〕の牽く高崎発直江津行客車列車が2番線に入る。碓氷峠を登る貨物列車はEF63重連の推進力が強力なため、横軽間専用のヨ3500を連結する決まりになっているらしい。また客車列車は重量の軽いナハ10等のナ級客車は推進力の及ばない軽井沢寄りに組成するようになっていたと聞いたことがある。 325レ 信越本線横川 S50(1975)/6/15
鉄道模型趣味No.265(昭和45年7月号)に旧形国電の連載があり、高崎ローカル40系6連の記事が印象に残っていた。それはクモハ60+モハ30+クハ55とクハニ67+モハ30+クモハ41の3連2本で、ここ横川で実見した編成は後半3連の組合せと思われる。クハニ67はこの時の車番メモがなければクモハ41かと思うところであった。 クハニ67900〔高シマ〕 信越本線横川 S50(1975)/6/15
横川16時35分は上り横川発高崎行旧形国電3連の140Mが、そしてEF6236〔高二〕の牽く下り直江津行325レの後部にEF63重連が付いて同時に発車して行く。信越本線のローカル電車は碓氷峠を越えるのは80系、高崎~横川間は40系が使われていた。 クモハ41029〔高シマ〕 信越本線横川 S50(1975)/6/15
鉄道ピクトリアルNo.629(1996/平成8年11月号)は信越本線特集であった。「信越本線 鋳鉄柱橋脚の跨線歩道橋」(中川浩一著)の記事から一部抜粋する。「かつては各地の駅構内で、鋳鉄柱4本を組合せた橋脚上に、古レールで組み立てたプラットトラスを架設する跨線歩道橋を眼にすることができた。橋脚の銘板が付く例も数多く、その諸々相探索する興趣もつきなかった。けれども施設の近代化が進む中で、更新され、退役を余儀なくされる事例も珍しくない」。撮影時はそのような視点は全くなく、独特の形をした橋脚が偶然ファインダーに入り込んで写ったものである。ちなみに横川駅は明治18年10月の開業であった。